連載エッセイVol.166 「化学愛と化学物質過敏症」 定松 淳

2021-06-26

月に今年は8名の受講生がプログラムを修了した。今回はそのなかの1人、F君のことを話したい。

F君は工学部で化学を専攻しており、その化学愛は同期のなかでも際立っていた。当プログラムでは受講開始のセメスターに分野横断的なディスカッションを行う必修のゼミを受講するのだが、そのなかでも化学反応について説明するときの彼の知識の豊富さには何度か驚かされた。あるいは私が担当する授業で水俣病の歴史を紹介し、西村 肇 先生のメチル水銀生成メカニズムについての研究を紹介したところ、少し違う反応経路がある可能性を提案してくれたこともあった(ハンスディーカー反応を挟んでいるのではとのこと)。

そんな彼が「副専攻の修了研究」で選択したテーマはchemophobia。言うまでもなく、「化学物質」というだけでネガティブなイメージを持たれることがある現状に対する問題意識があった。当初、ロボット研究における「不気味の谷」のアナロジーを用いたりして議論していたことを覚えている。しかし具体的に研究を進めるために、一般市民がもつイメージとしてのchemophobiaではなく、ハードケースとしていわゆる化学物質過敏症を取り上げてみることになった。そして、いきなり患者さんと接するのは大変だろうということで、この問題に取り組む専門家にインタビューしてはどうかと、北里大学名誉教授の宮田 幹夫 先生にインタビューすることになった。

最初のインタビューでF君は、症状についての解説や患者さんの心情についてお話を伺ってきたのだが、それ以上に彼がインパクトを受けていたのは、宮田先生の個人史であった。宮田先生ご自身が当初は過敏症の存在を信じていなかったこと、苦労が多いであろうことを予期しながらそれでもこの問題にコミットするようになっていかれたこと、そのことを少し自己諧謔も含めながら話されたこと。化学を必ずしも否定的に捉えておられなかったこと。そういった二項対立的ではない体験談が、F君自身がchemophobiaや過敏症の方々との間に感じていた距離感を溶解させたのだった。

もう一度、今度は宮田先生の個人史に焦点を当ててインタビューを行い、F君はその線で修了研究をまとめてくれた。プログラムのウェブサイトでPDFが公開されているので、ご関心がおありの方は是非ご覧いただきたい。

化学物質過敏症専門医 宮田 幹夫 氏から学んだインタープリター像

『学内広報』no.1547(2021年6月24日号)より転載