アーサー・クラインマン(Arthur Kleinman:1941~)の主著『臨床人類学 文化のなかの病者と治療者』(1992/2021)は、科学コミュニケーションにとっても大変示唆に富んでいる。この書は、彼が台湾で精神医学の医者として働きつつフィールドワークを行った成果である。
通常、文化人類学で医療を扱う場合、多くは未開社会の伝統医療を対象とする。他方、彼が取り上げるのは、近代的な社会における様々な医療の多元的・多層的構造である。彼は医療を「民衆セクター」、「専門セクター」、「民俗セクター」に分ける。民衆セクターは、一般の人が自分で行ったり、家族や友人など身近な人たちの間で行ったりする医療や健康法を指す。専門セクターは、何らかの専門家による治療で、主に近代西洋医学を指すが、中国医学や指圧のような代替医療も含む。民俗セクターは、宗教的医療と民間療法からなる。
これら3つのセクターでは、病気の捉え方も対処の仕方も違うし、何が健康で何が治癒と考えるかも異なる。また専門セクターと言っても一枚岩ではなく、西洋医学と伝統医学その他の代替医療では、病気や健康に関する考え方が違う。そこでは、各々が独自の理論的実践的体系をもっているので排除しあい、いずれが正しいか、優れているかを巡って競合する。一般には、確固たる制度を有する西洋医学が最上位にあり、その下に代替医療が来る。
ただし、民衆セクターは最も広い部分を占め、病気が最初に経験され、対処され、様々な治療法の選択や評価が行われるところである。ここでは異なる医療体系の間にあるような対立や隔たりはなく、患者はその間を自由に行き来する。このように民衆セクターは、種々の医療体系の基層として、それらを結合する役割をもつ。一般の人の科学についての理解が不正確で一貫性がないように見えるのは、このためでもある。
ここには重要な含意がたくさんある――科学者と一般の人々は、いわゆるコミュニケーションをとる前からすでに関わりをもっている。しかもこの関わりは、きわめて多様で一義的に規定することはできず、それが実際のやり取りの場面でどのように影響するかはコントロールできない。さらに、科学の権威や正しさは専門家集団によって保証されるが、最終的には、一般の人々がそれをどのように受け止めるかによって左右される。科学コミュニケーションは、ゼロから立ち上げることはできず、すでに関わりあっているところからしか始まらないのだ。