連載エッセイVol.173 「ラボラトリー・ライフ」 定松 淳

2022-01-26

『ラボラトリー・ライフ』は、1979年に初版が刊行された、人類学者B.ラトゥールらによる科学技術社会論(現代的な科学論)の古典だ。先ごろ初の日本語訳が刊行された(ナカニシヤ出版、立石 裕二・森下 翔 監訳)。これまでラトゥールの他の著作は多く翻訳されてきたにもかかわらず、この最初の出世作はこれまで邦訳がなかった。

この研究書は、アメリカ・ソーク研究所のR.ギルマンのラボで実施された調査に基づいて書かれている。そう、A.シャリーとの『ノーベル賞の決闘』(N.ウェイド著、岩波書店、丸山 工 作・林 泉 訳)で有名な研究室である。ラトゥールが参与観察を行った最後の年(1977年)に、ギルマンとシャリーはノーベル生理学・医学賞を受賞したのだ。第3章のようにウェイドの描いた内容とかなり重なる部分もあるが、全体としては20世紀最後の四半期に興隆した科学技術社会論の若々しい息吹が感じられる著作である。

第4章では、科学哲学における議論の蓄積を踏まえて、ラトゥールらは反実在論的な立場を打ち出している。後にその立場はかなり“物象化”されて、1990年代の「サイエンス・ウォーズ」(科学者と科学論者・ポストモダン思想家との論争)ではラトゥールがバッシングされることにもつながった。しかし、初期のこの著作ではあまり大風呂敷を広げる感じがなく、主張のもともとの意図がどのようなものであったかがわかりやすい。

私は特にラボでの参与観察に直接基づいた第2章が好きだ。当事者の物の見方を脱構築して、科学的研究とは傍目から見たときどういう活動なのか、興味深い洞察を与えてくれる。

……このラボは二つの区画に分かれている。ひとつの区画では人々がいろいろな仕方で装置を使って働いており、もうひとつの区画では人々は読んだり書いたりしている。前者はさまざまな分野の最先端技術が利用されており、膨大な金額がつぎ込まれているが、最終的には何かが描出されて、後者の区画にもちこまれる。この描出されたものに基づいて、なんども推敲された文書がこのプロセスの生産物として郵便に出される……この描出の機能は、読み手を説得することである。しかし読み手が完全に納得するのは、説得に関わるあらゆるソースが消え去ったように思われるとき(データやレファレンスなしで論文や教科書に載るようになったとき)なのである……(要約)

翻訳によって広く専門外の方にもアクセスしやすくなったことを喜びたい。

『学内広報』no.1554(2022年1月25日号)より転載