連載エッセイVol.174 「安全と安心の近くて遠い関係」 横山 広美

2022-02-22

安全は数値で決めることができる科学であり、科学者の仕事である。一方で安心は、人の心の状態であるからこの2つは混ぜてはいけない。特に安心を誘導する科学者は、その意図を疑われ、信頼を損なうことが多いので注意が必要だ。

数年前に異なる分野の研究者たちと安心について議論をした。ある哲学者は、政府が安心を説くことは人の心まで操ることであり、それは国家権力の拡大で許してはいけないと言った。対してある社会心理学者は、人の心配はそのままにしておくのが良い、リスクの程度は人によって違うし心配が必要で対策を取らなければいけない人たちがいるとし、人々を安心させようとする科学者や政府をおせっかいだと断じた。さらにある物理学者はそうした意見を総括し、セーフティネットは必要だよねと言った。

安心をさせたいのは、マクロには対応を批判されたくないからという政府の事情に加え、ミクロには相手を自律した存在ではなく、導かなければいけないという態度がある。医療現場などでは確かにそれが必要な時もあるだろう。しかしこれに同調圧力が合わさって、心配をしなければいけないときに、無理に安心をする方が賢いという雰囲気があるのも問題だ。不安な人を貶める発言は、自分の安心を担保するためだと知られている。

気を付けなければならないのは、科学者は、科学者ならではの安全バイアスにかかっていることである。安全情報に囲まれる科学者は、社会の中のリスクを必ずしも的確に捉えているわけではない。90年代の通称「白人男性効果」と呼ばれる研究成果では、一部の白人男性だけがハザードに対し強く安心していることを明らかにした。その理由は、社会的立場が優位である人が安心をすることを表していると考えられている。

日本はもともと高いレベルの安心社会だった。震災後もリスクとの付き合い方は難しかった。しかしその経験が十分に活かされているとは言えない。この原稿を書いている第6波の現在は、コロナによる日々の死者数がデルタ株の第5波の時を越えている。東京都では80人にひとりが療養中である。それであるのに、多数に感染しても重症化は低いということにとらわれ、なんとなく安心をしている状況は、どこか歪んでいるのではないか。特に学校現場が休校になっていないことが心配だ。安全の基準や提示は、科学者の責任であることに思いを馳せ、安全を呼び掛けていく必要があるのではないか。

『学内広報』no.1555(2022年2月21日号)より転載