人と人とのつながりが対面を超えて成立する時代。特にSNSの普及により誰もが情報発信できるようになったこの世の中だが、匿名性の高いこのデジタル空間に偽情報・誤情報が氾濫し、人々がそれを信じてしまうことの弊害が近年とみに指摘されている。溢れる情報を自分で選択したつもりでも、気づけば自分の意見に沿った見解だけしか目に入らないようになっているという、フィルターバブルやエコーチェンバーの閉じた仮想空間に陥りやすい伝達構造に注意が必要だ。
こうしたSNSの特性は、情報化社会の新しい問題なのかと思いきや、「人は見たいものを見る」という認識は古くからあり、なんとカエサルのガリア戦記に登場する言葉なのだという(fere libenter homines id quod volunt credunt. =たいてい人間は自分が望んでいることを喜んで信じる)。
原子・原子核・素粒子物理学の研究者である私が科学コミュニケーションの分野に関わるようになったのは、原発事故当時に放射線に関する玉石混淆のリスク情報が巷に錯綜し、科学者として正しい知識を伝えたいとの使命感から放射線教育活動を始めたのがきっかけだ。ただ、科学者が伝えたい情報と人々が知りたい情報は必ずしも合致しないし、人間の認知バイアスを考えても、拡散しやすいのは科学的に正しいというよりもむしろ感情的に心に刺さる情報の方である。
クライシス時にあっては、迅速性が最重要課題であって、人々の危険を煽るような感情的な情報は特に拡散しやすくなる。フェイク情報はスマホ片手にものの1分で作成できる一方で、科学的根拠に基づいた正確な文章を書き上げようと思ったら、専門家でもデータ収集、情報の検証や文章の校正まで、場合によっては数時間を要してしまうだろう。偽情報・誤情報との戦いは、要する労力と時間の圧倒的な非対称性から、科学者にとって勝ち目がないように思われる。
この非対称性を少しでも解消する方策として、進展すさまじい生成AIの活用が考えられるのではないか。我々のプロジェクトでは、当時科学者有志が一般市民の疑問質問に答えた何千ものQ&Aの文章など、専門的な知識を生成AIに検索拡張生成(RAG)データとして読み込ませ、データや論文の検索、下書き原稿作成など、科学者の執筆支援に活用し、迅速な情報発信に役立てることを目指して研究している。AIを活用すれば薔薇色の未来というほど甘くはなかろうが、今や中高生でも日常的に利用している生成AIを、科学コミュニケーションに活用しない未来ももはやありえまい。