連載エッセイVol.181 「社会と科学の間の『不気味の谷』?」 松田 恭幸

2022-09-26

いきなりですが、上橋 菜穂子さんのファンです。

活字化された作品はすべて読んでいますが、一番好きな作品はやはり「守り人シリーズ」です。仕事が行き詰まっているときや気にかかることがあるときでも、一度読み始めるとあっという間に引き込まれてしまい、時間が経つのを忘れてしまいます(ここでさりげなく原稿が遅れたことの言い訳をしています)。上橋さんの他の作品も大好きで、読み始めると止まらないのも同じなのですが、私にとっては「守り人シリーズ」が一番相性が良いというか、小説の中の世界に「すっ」と入り込める作品のようです。

なぜだろうと思っていたのですが、ある日、ロボット工学における「不気味の谷」現象に類したことが小説の世界にもあるのかも知れないと思いました。「不気味の谷」現象とは、ロボットを人が見たときに、その外見や動作が人に似ていくにつれて親近感が増していくが、あるところまで似てしまうと逆に違和感が強く現れるという現象のことです。上橋さんの他の作品の中には生態系や医学に関わる深い知見を背景にした記述が現れるものがあります。そうした作品を読むときに、たまたま私が持っている自然科学に関する感覚と、作品世界の中での科学技術とその背景の描かれ方との間のわずかな差異に引っかかってしまい、作品世界に没入しにくくなっているような気がするのです。

そして、同じことが現実の科学と社会の関わりについても言えるのかも知れないと思うと、少し怖くなりました。20世紀後半から、社会における行動原理や様々な意思決定の方法について、例えば「根拠に基づく…」という形で、自然科学の方法論に近づけていくことを良しとする傾向が強まっているように思われます。しかし、ヒトが感情や自由意思を持つ限り、社会の行動原理と自然科学の行動原理が一致することはないはずです。にも関わらず、二つの行動原理を近づけて互いに「よく似ているが非なるもの」になってしまうと、社会の構成員は自然科学や科学技術の方法論に対して強い違和感や嫌悪感を持ってしまうということになりかねません。

私たちが生きる社会における行動原理や価値観の中に、自然科学とは異なる軸をしっかりと打ち立てることこそが、逆説的に、科学と社会との間の関係を健康かつ良好に保つために必要なのかも知れません。

『学内広報』no.1562(2022年9月26日号)より転載