「書評のひろば」は、ひとつの本について、異なる分野の専門家たちが書評を書き、それらの書評に本の著者が応答し、ある本を立体的に理解した上で、科学や社会、あるいはコミュニケーションについて、理解を深めていく企画です。今回取り上げる本は、『科学とはなにか 新しい科学論、いま必要な三つの視点』(佐倉統、2020年、講談社)です。
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『科学とはなにか』科学技術社会論研究者の書評:内田麻理香
『毎日新聞』2021年2月13日の記事の転載となります。
この一年、世界中の人が否応(いやおう)なしに科学と向き合わざるを得なかった。科学に頼もしさを
感じるときもあれば、その半面、科学という存在の扱いにくさを実感したときもあっただろう。本書は、
タイトルが示すとおり、科学を見直したい人、いちから考えたい人に向けた格好の書だ。
新書という形で手に取りやすく、軽快でユーモアにあふれた文体につられて楽しく読み進めることができる一冊だ。しかし、その「見た目」と異なり、その内容は該博な知識に裏付けられており、立ち止まって考えるべき重要な論点を数多く示している。
本書は、専門家こそ正しいという専門家主義と、社会一般の見方こそ正しいという大衆至上主義の両極にふれない、「第三の道」を探ろうとする。この第三の道は、専門家主義と大衆至上主義の両極から批判にさらされるため、険しい。しかし、科学技術に関わる特殊な専門知は、もはや私たちの生活から切り離すことができない。従って、一人一人が各自の判断に応じて科学技術を「飼い慣らす」必要がある。だからこそ、専門家か一般の人たちのどちらに委ねるか、という二者択一ではなく、辛くても第三の道を見つけなければならない。
科学者が科学的に厳密であろうとすると、その説明が条件や留保をつけたものになり、日常生活での活用の仕方がわからない場合が多い。コロナ禍でも、断定しない専門家の見解に対し、「具体的にどう行動したら良いのか教えてくれ」と、もどかしく感じた人も多いだろう。だが、科学知と日常生活で必要とされる知識とでは、そもそも性質が根本的に異なるのだ。
ここで、賃貸住宅の「事故物件」を借りるか否か、という例を挙げ、「根っからの科学主義者で唯物論者」である著者も、事故物件を借りることは嫌だと述べる。その物件を抵抗なく借りる人もいるだろう。重要なのは、各人の感覚が尊重されるべきだという点だ。事故物件の例に限らない。ある科学知を日常生活の場面でどう使うかは、各人の感覚が異なるため、自分で決める必要があるのだ。
さて、専門家主義でも大衆至上主義でもない中庸をめざし、双方から矢が飛んでくる二正面作戦に勝利するための道はあるのだろうか。その解決の糸口になりそうな例として、著者は三つの新しい学問の形態に注目する。一つ目は、いま興隆している「市民科学(シチズン・サイエンス)」だ。市民科学は、科学技術の専門家だけではなく、一般の人たちも研究に参加する運動である。二つ目は、疾患の当事者が自らの病を研究する「当事者研究」だ。三つ目は、差別を受けている人々が、「生物学的市民権」を行使し、生物学などの科学的な成果を使って、自分たちの存在の正当性を主張する活動である。確かに、これらの研究は一般の人たちが、単なる科学知の使用者に止まらず、主体的に科学知を飼い慣らしている例に相当するため、第三の道をめぐる解のヒントとなりそうだ。
「科学とはなにか」のわかりやすい答えを求めて本書を読むと、かえって「もやもや」が増すだろう。しかし、この「もやもや」を抱えて考え続けたり、他の人たちと持ち寄って話し合ったりすることが、科学を飼い慣らすことの一歩にもなりうる。これもまた、第三の道につながるだろう。
内田麻理香(東京大学大学院総合文化研究科 科学技術コミュニケーション部門・特任准教授)