「書評のひろば」は、ひとつの本について、異なる分野の専門家たちが書評を書き、それらの書評に本の著者が応答し、ある本を立体的に理解した上で、科学や社会、あるいはコミュニケーションについて、理解を深めていく企画です。今回取り上げる本は、『なぜ理系に女性が少ないのか』(横山広美、2022年、幻冬舎新書)です。
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『なぜ理系に女性が少ないのか』書評
「理系女性人材の不足」という現在の日本が抱えているとてつもなく大きな問題のソリューションはどこにあるのか、改めて考えさせられた。近年、政府等から出される提言の多くに理系女性人材の育成の加速化が盛り込まれている。この問題を解決するためには、理系進学を志そうとしている若い世代の揺れ動く心情を理解したうえで、その気持ちに寄り添った支援が必要である。本書のタイトルが投げかけた質問を、正面から受け止め、皆で知恵を出し合うことが支援策の基盤となっていくのだろう。DE&I社会の実現に向けて見えてきたジェンダーの環境改革を社会と共に進める重要性を指摘する著者が、「理系女性問題」というフィールドに切り込み、調査研究のデータを示しながら、多方面から持論を展開していることが本書の大きな特色と言えよう。
第1章で日本の理系女性が少ない事実を述べているが、この章の最後において学問分野における能力イメージを紹介し、第2章以降の「イメージ」がもたらす数々の弊害について考察している。「イメージ」が理系女性問題に少なからず影響を与えているであろうということは誰しも思っていることであるが、こうした「イメージ」について、ジェンダーの視点から調査結果を読み解いていて興味深い。「イメージ」という言葉の響きにさほどの重みは感じられないが、「イメージ」が「アンコンシャス・バイアス」を植え付け、「ジェンダーステレオタイプ」の固定概念を作り出し、女子生徒の理系進路選択を阻む要因となる。第7章では「ジェンダー平等意識や女性規範といった、一見、理系進学に関係のないように見えるトピックスが、実は進学選択の背景にある可能性」を明確に指摘し、この点について今後の研究の必要性を述べている。女子中高生を対象としたサイエンスの興味・関心を伸ばす取組を提供している機関は多く、そういう私も数多くの取組を企画している側であるが、日本全体で女子生徒の理系進路選択を加速させるためには、ブレイクスルーは案外別のところにあるのかもしれない。
本書では日英(イングランド)での調査結果である「社会風土を入れた拡張モデル」を紹介している。数学・物理学の男性イメージに、職業や数学ステレオタイプといった分野の男性的カルチャーが両国ともに大きく寄与していた。英国の大学学部への女性入学者に占める理工系分野の女性入学者の割合は日本の3倍以上である。日本と同じように分野の男性的カルチャーが存在していても、英国の女性たちが高い割合で理系進路を選ぶ理由は何だろうかと思っていたが、読み進めるうちにジェンダー平等の意識という社会風土がもたらす要因が大きく関係していることがわかった。日本は男女ともにジェンダー平等意識は低い。英国の女性のジェンダー平等の意識は高く、男性のジェンダー平等意識は二極化していて、高いグループは女性と同程度、低いグループは日本の男女と同程度である。英国の男性のジェンダー平等意識の二極化の理由には触れていないが、男女共に、この意識を高めることが理系女性を増やす追い風になっていくのであろう。
前述の日英の調査結果で、日本では「女性は知的でないほうが良い」と思う人ほど、数学に男性的イメージを持つことが触れられている。また、最後の章である「残された謎と課題」で他のグループの研究による、中学生の数学嫌い、理科嫌いは装われたものであるという結果を紹介している。数学や理科が得意なことを周囲に知られたくないと女子生徒自らが判断しているということである。好きなこと、嫌いなことを、演じることなく、素直に認め公言できる環境が醸成されていないというのは、残念なことである。著者は現在の社会的雰囲気を変えることで状況が変化する可能性を指摘している。女子生徒の心の中にある見えない壁を作りあげたのは今の社会ではあるが、女子生徒自身も、真剣に自分の未来をみつめ、周囲に踊らされることなく、進路選択に向き合ってほしいと著者と共にエールを送りたくなった。
本書は進路選択をする中高生向けに書かれたものではない。しかし、これから進路を選択しようとする中高生にもぜひ読んでいただきたい。進路選択に直面している若い人たちが本書を読むことで、自分自身に潜むアンコンシャス・バイアスと向きあい、将来を開くきっかけが生まれるかもしれない。
加藤美砂子(お茶の水女子大学 理事 副学長、理系女性育成啓発研究所長)