連載エッセイVol.190 「メッセージの本気度」 塚谷 裕一

2023-06-26

通勤で東京メトロの車内広告を見ていて、気づいたことがある。メッセージの本気度は画像でわかる、ということだ。

ある会社の場合、そのCMの中心主題は、自然との共生を大事にする「環境先進マンション」というメッセージである。ところがそこでまず登場するのが、森の中の苔むした林床に、黒の革靴姿で座り込む男なのだ。そんな所にずかずかと踏み込んだりしたら、長年かけて育った苔が駄目になってしまう、と目を覆いたくなるような光景である。そのくせその人物が、わざとらしく「動物は自然とうまくやっている。人間はどうだろう」などと問いかけるのだ。そして唐突に野生動物のスナップが挟まるという流れ。絶対、自然との共生なんて本気で考えていない会社だと、確信させられる映像だ。こんなCMで、本当にみんな感動するんだろうか。

メトロ自身も、都内で自然を楽しめる空間の紹介という映像を流していた時があった。そのとき紹介されていた三箇所の映像も、自然好きの私が見てなんの魅力も感じない代物だった。実はそのうちの一箇所は、私自身の体験上、たしかに魅力ある場所だったのだが、映像はその良いところを全く捉えていなかったのである。なにか緑色が写ってさえいれば自然好きは喜ぶんだろ、くらいの認識で撮影したのがよく分かる映像群だった。これまたメッセージ伝達失敗である。

いずれの場合も、まずは映像作成会社の責任だろう。一方でこれら映像は、広告主が試作段階でチェックし、それぞれゴーサインを出したはずだ。ということは、広告主もあれでいいと思っていたわけだろう。つまり、上記の例のメッセージは、いずれも実は本気ではなかったわけだ。メッセージがうわべに過ぎないと見え透いてしまっては、本来の目的は達成されない。ここにおいてコミュニケーションは不成立に終わっている。

サイエンスコミュニケーションも、題材が科学的話題というだけで、メッセージの伝達と相互コミュニケーションとが主体であることに、何ら変わりはない。本気で伝えるつもりかどうか、そのメッセージの内容が本心からの本気なのかどうかは、それは提示された画像だけで相手に分かってしまう。この事実を、サイエンスコミュニケーターたるものは、よく心に留めておく必要がある。

『学内広報』no.1571(2023年6月26日号)より転載