科学技術インタープリター養成プログラムの禄を食んでいながら、いまさらこんなことを書くのは、大変気が引けるのだが、「インタープリター」という語には、僅かながら不満がある。言うまでも無く、<interpret>という英語は、先ずは「説明し、解釈する」意味であり、例えば「作曲家の書いた楽譜を、自分の解釈を施して演奏する」ことも、あるいは「作家の書いた戯曲中の登場人物の像を、自分の解釈を施して演ずる」ことも、その最も正当な使い方である。さらには、精神分析医が、クライアントの述べる夢を「解釈し、判断する」場合にも、この語が用いられる。「通訳する」という意味は、派生的に現れるものである。
「通訳する」場合には、例えば日本語―英語の通訳であれば、日本語の話し手の話す日本語を英語に置き換えて伝えると同時に、英語の話し手の話す英語を日本語に置き換えて伝える、という相互的な働きをするのが普通であるが、上の一義的な意味の場合、つまり「説明し、解釈する」行為は、どちらかといえば一方的である。すでに楽譜や脚本、あるいはクライアントの夢は、すでに前提として存在しており、それを如何に解釈して伝えるか、というところに眼目がある。
その前提に立つと、「科学技術インタープリター」というのは、科学技術の内容は既存、既知のものとして存在し、それをインタープリターは、自分流に解釈を加えながら、他人に伝える役割を演じる人、ということになるだろう。無論、現代のように、科学や技術が極度に専門化し、その高度な内容は、当該の専門家集団に属する比較的少数の専門家の間でのみ、理解され、流通しているような状況の下にあっては、そうした専門的知識を、非専門家に判るような流儀に解釈した上で伝えるという機能は、極めて重要になる。
JSPSに先端科学シンポジウム(FoS)と呼ばれる行事があって、ここ暫くお手伝いしている。この行事は、日米、日独、日仏の二国間で恒常的に行われる。当該国で、物理学、地球科学、生命科学など、八種くらいのジャンルから選ばれた、原則四十五歳以下の若手第一線の研究者が、四十人程度一堂に会して、自分の研究内容を英語で発表し、討論する。同じ科学者どうしでさえ、分野の異なる相手に、理解できる言葉で伝えることの難しさがよく判る。実際、研究者は、同じ領域の専門家の集まる学会で発表するテクニックは、先輩格の研究者が教えられるが、そうでない場合のコミュニケーションの方法に関してはどこでも教えられない。FoSは、そうした点で、極めて大切な教育的効果を持っていると感じてきたし、東京大学に置かれた本プログラムも、これまでの理工系の教育に欠けていた、そうした点を改善するためのプログラムなのだ、と考えれば、それはそれで、意義深い試みであるに違いない。
ただ私は、非専門家と専門家との間の双方向のコミュニケーションを可能にする能力を養成するプログラムと考えたいので、むしろメディエーターという言葉、つまり「なかだち役」という語感の方が好もしいか、と思ったりもするのである。
2009年8月25日号