連載エッセイVol.30 「真の仕分け作業の意味」 渡邊 雄一郎

2010-01-25

2010年度予算編成に先んじて、要求項目の吟味が新政権のもとで行われ、俗にいう仕分け作業が注目を集めたのは記憶に新しい。その公開のやりとりの場を、マスコミを通じて国民は見たわけだが、そこでは科学技術、研究に関わるものも俎上の鯉となった。多くの霞ヶ関のお役人が衆目にさらされ、一種の裁判のような場に引っ張り出された印象をもった。ある晩、テレビの夜のニュースをみると、なんと私の出身研究室の先輩が文部科学省関係の案件でその場に登場した(引っ張り出されていた)のである。先輩は修士課程を卒業して、公務員試験に合格ののち科学技術省に入り、今は文部科学省のお役人となっている。かねてから科学行政について担当していますと、同窓会のたびに話をきいていた。私はその先輩が仕分けの作業の場にでている場面をまさにテレビの液晶をとおして見たのである。今回その特定のやりとりについては物を申すまい。ただ、大学の人間、理系の出身だからといって政治と混じることはないと思っている人がおおいだろうが、これから日本でもそんな棲み分けはなくなるのではないかと感じたのである。すくなくとも、科学者あるいは科学関係者が全員といわずとも、ある程度の人が政治家とだけでなく、広く社会と対話をしていく必要性が大いに増えることが現実のこととなったと感じたのである。

われわれ研究室にいると、その運営上研究費を外部から得る必要がある。その際に、いろいろな研究費予算の枠に対して、自らの研究を提案して認めてもらおうとする。そのとき姿は見えないがピアレビューする人として想定してきたのは、同業者(つまり研究者のだれか)、シニアな研究者、あるいはせいぜい科学行政のお役人であった。ところがその研究費枠を担保している行政レベルでの予算枠自体が、厳しい評価にあったのである。かつてなかった事態に、この仕分け作業で厳しい評価をうけた予算関係者は一斉に反論をした。反論は当然であるが、その仕方にいろいろと個性を見た。既得権を守るような説得は力を持たないだろう。仕分けの見直しが反論メールの数の勝負となるというのも変な話である。どのように重要かということをどう一般の方に説明するか。理系出身者もこれから将来姿やあり方も変わっていくのであろう。研究一辺倒という人も当然残るであろうが、あたらしい姿、存在の仕方もある気がした。それがどのような姿、位置づけなのかを考えていくことが重要だと感じた2010年の年明けである。

2010年1月25日号