連載エッセイVol.29 「コミュニケーションの形」 石原 孝二

2009-12-17

われわれは、日ごろ様々な手段でコミュニケーションをとっている。直接的・間接的に、口頭で、筆記で、メールで、ブログで、動画の投稿を通じて、等々。健常者の成人の場合は、複数の手段を通じて、また、自立的にコミュニケーションをとることが可能である。しかし何らかの障害をもつ人の場合、コミュニケーションの手段が限定されていたり、コミュニケーションをとるための特別な方法や援助が必要なことがある。

特に口頭でのコミュニケーションに障害がある場合に、筆記やタイピング等の代替手段によって行われるコミュニケーションをファシリテイティッド・コミュニケーション等と呼ぶことがある。この方法は、自閉症などの発達障害をもつ人たちのコミュニケーション手段として使われることがある。驚くべきことに、口頭によるコミュニケーションがまったくできない子供(や成人)が、筆記やタイピングを通して、意思疎通をはかることができたり、文章(論文や著書)を書いたりすることができる事例が報告されている。

こうした事例は、驚くべき現象であるがために、その信頼性に対して、様々な批判が寄せられてきたし、現場でもしばしば懐疑的な目で見られているようである。キーボードの助けを借りながらも自立的にコミュニケーションをとれる場合には、本人の意思によってコミュニケーションが行われていることは疑いの余地が無い様に思われるが、援助者が手を添えたり腕を支えながら字を書いたり文字盤を指していく場合には、それが果たして利用者の本当の意思なのかどうかを判断するのが難しく思われることもあるだろう。

いずれにせよ、ファシリテイティッド・コミュニケーション等と呼ばれる現象には多くの解明されるべき謎が含まれている、と言うことはできるだろう。様々な手法を使ってこの謎を解き明かしていくことは、自閉症などの障害のいくつかの側面について光をあてることになるだけでなく、健常者が行っているコミュニケーションに関しても多くの示唆を与えることにもなるのではないだろうか。

【文献】ダグラス・ビクレン『「自」らに「閉」じこもらない自閉症者たち』鈴木真帆監訳、日向裕子・金澤葉子訳、エスコアール出版部、2009年;筆談援助の会編『言えない気持ちを伝えたい』エスコアール出版部、2008年

2009年12月17日号