科学論も変化する
岡本 拓司
20年近く前、クーンの科学論に現れるパラダイムには、或る一定の見方で世界全体をとらえることを強いる(理論負荷性)という点で、カントの認識論の「ア・プリオリ」と同じ機能があるのだが、カントの場合には相対主義を克服する根拠とされるものが、パラダイム論では却って相対主義に導くという指摘に出会った(加藤尚武「「パラダイム相対主義」批判」)。確かにその通りであり、パラダイム間で対話は成り立たないとする「通約不可性」に基づく相対主義が、この議論の特徴である。指摘には納得したが、その後、それはなぜかという疑問が、答が見つからないまま漠然と残った。
今年の夏学期に科学論を扱った際、加藤論文と偶然一緒に取り上げた論文を読んで、そこに答が書かれているのに気づいた。この論文(廣松渉「科学論の今日的課題と構案」)も同じ頃読んでいたが、充分理解していなかったらしい。
廣松論文でも、理論負荷性がすでにカントによって主張されていることが指摘されるが、カントや彼に続く哲学者が20世紀初頭に至るまで前提とすることができたのは、ニュートン力学やこれに倣った数理物理学の不変性・不動性であったとも述べられている。ニュートン力学の時空観が普遍的な認識の根底にあるとしても、或いはだいぶ譲って学問の作り方の模範が数理物理学にあるとしても、歴史を越えて有効な認識や学知の枠組みが、特権的な地位を占める実在の理論によって保証されていることになる。この唯一の理論が、1930年くらいまでに絶対のものでなくなったこと、具体的には相対論・量子力学がそれ以前の物理学に取って代わったことが、認識論・学問論にも変革を迫った。1962年に現れたクーンのパラダイム論は、1930年頃に終わった物理学上の変革に対応した科学論であり、理論ごとにいわば「ア・プリオリ」が存在し、かつ理論は複数あって交代しうるとしたために、相対主義という帰結をもたらした。
パラダイム論の影響は大きく、科学も他の学知と同様、その歴史には基礎理論の交代が見られ、また交代を支配する合理的基準はないということになった。これは正しそうであるが、しかし主張されているのは、科学と他の学知との共通性であり、これだけでは、科学はそれでもほかの学問とは異なるという実感には応えられない。相対論・量子力学による変革に対応しながら、今度は科学が他の学知とどう異なるのかを示す議論が必要である。
2012年8月27日号