連載エッセイVol.96 「科学者の仕事」 石浦 章一

2015-07-28

最近は時間があるので(サバティカル)、同僚が書いた科学コミュニケーションの本を斜めに読みながら毎日を過ごしている。そこでわかったことは、1)大学に科学コミュニケーションを専攻することができる部署を作れとか、2)科学者は研究に使う時間を削って自身の研究を市民に知らせるようにしなさい、その分、他の教員はその人を不利に扱わないように、また3)政府機関は研究成果を要約してウェブサイトに掲載するように、などと急に政府が言うようになったのは、米国議会が1998年に出した報告書を単にまねしているだけ、ということがわかった。これが日本に来ると、面倒だから仕事のない○○哲学専攻の人に振れ、とか、アウトリーチをするのは研究ができないやつだと誹謗されたり、誰も見ない報告書を強制してただHPにあげ更新しないお役所などが出てきただけだった。面白かったのは、米国では誰にでもアウトリーチを強制するのではなく、「市民との対話に適性のある」科学者にアウトリーチを奨励する、という言い方である。もちろんこれが正しく、公開授業や出前授業には教員が順番に行くべし、という空気が強い我が国では、アウトリーチやサイエンスカフェをやればやるほど、科学の面白くない面を市民に知らせているという側面がある。市民との対話に適性のある科学者には金一封をあげるくらいの度量がないと、科学技術立国は成り立たないのではないか。

諸外国の科学リテラシー啓蒙活動でもう1つ興味深かったのが、大学や官公庁のイベント出店の多さである。これによって若者の科学技術離れが解消された、というのだ。一方我が国では、私学の大物教授の行った「大学で理系を選んだ動機は何か」という調査では、親と先生が6割弱を占め、本が2割強、テレビがそれに続き、科学館2%、イベントは1%だったという衝撃的な結果がある。イベントに来るのはいつも同じ人、という笑い話があるが、多分、彼我のこの差はイベントの内容と質によるものなのだろう。

結局のところ、科学にちょっと興味があるという程度では国を背負って立つような科学技術を発展させることはできないのは、誰が見ても明らかである。私たちが育てなければならないのは、高度で幅広い知識を持ちながら、先見性を持って新しい分野に嬉々としてチャレンジする人材である。研究室のボスの手腕は、学生が持ってきたアイデアをいかに成果に導くか、である。組織もそうで、先例がないとできないような人間は、そもそも上になる資格がない。さて、東大は?

2015年7月27日号