大学というのも変ったものである。私は昭和三十二年に駒場に入学し、大学院までずっとこのキャンパスで過ごした。昭和四十八年に助教授として赴任、平成元年に、駒場第二キャンパスの「先端研」に移って平成七年に退職した。学部時代には「学内広報」の委員会の責任者も務めた。しかし、当時は、停年退職者が教壇に立つことは厳しく制限され、かつて学長だった茅誠司氏をオムニバス講義のなかの一コマだけ担当していただこうとした際には、大きな抵抗があった。今は七十一歳になった私が、特任として、とにかく、この古巣の教壇に立ち、こうして学内広報に原稿を寄せる事態にもなっている。不思議の感を免れない。
<interpreter>と<translate(o)r>という英単語は微妙に違う。もちろん重なり合う意味もあるが、例えば演奏家が楽譜を音にするとき、<interpret>という動詞は使えるが、<translate>とは通常言わないだろう。<interpret>には、自己の創造的な解釈が含まれ得る。科学・技術の場合、どうなのか。
要はこういうことだ。現在科学や技術(特に工学)の専門家にとっては、レフェリー付きの論文を書くことが、最も重要な仕事である。つまり自分の研究に関するコミュニケーションは、いわゆる「ピア」、それも、ある特定の傾向を備えたレフェリーとの間でのみ成り立つことが期待され、実際の関心も、そこにしかないのが普通である。ところが、近年のように、研究が巨額の費用を必要とするようになり、いわゆる(財政的)「アカウンタビリティ」が研究者に求められるようになると、それだけで、特定のレフェリーはおろか、ピアでさえなく、全くの門外漢にまで、自分の研究の説明ができ、コミュニケーションを成り立たせる必要性が生じる。その上、民主主義社会では、専門家のみによって意志決定が行われることへの批判を無視できない。
現在準備中の裁判員制度も、同じ基盤に由来するものだが、科学・技術においてこのような状況は極めて重要な意味を持つ。メディエイターと言えば紛争解決(たとえばADR=法定外での紛争解決)の役割が主となるが、科学・技術にもそうしたメディエイターも必要だが、本コースの主たる目的は、専門家のコミュニケーション能力の練磨にある。手探りのところも多いが、今後の日本社会のために、できることがあれば、と老骨に鞭打つ日々である。
2008年6月13日号