連載エッセイVol.14 「最強の科学技術インタープリター」 山科 直子

2008-07-18

「なんで私が東大に!?」・・・電車の吊り広告で見るともなく見ていたアレが、まさか自分の身に起こるとは思ってもみなかった。実は私の亡父もコテコテ(?)の大学人であり、私は親子ゲンカのたびに「人間、センセイと呼ばれるようになったらおしまいだよね」などと乱暴な持論を展開したものだが、父が生きていたらなんと言われることか・・・。いい年して親の話をするのも気が引けるが、父は大学のセンセイという立場を最大限に活用した人だった。地方の国立大学のセンセイなんていったら、その地方では超偉い人としてちやほやされてしまうので、なんでもできるような勘違いもあったのだろうが、おかげで、雪国の大気汚染の根源であったスパイクタイヤを規制するための法律をつくってしまうということをやってのけた。もちろんこれは彼一人の仕事ではない。研究室に粉塵を分析できる最新の機材があったことと、彼自身の目立ちたがりな性質がそもそもの発端だったが、科学的に環境汚染を計測し、その原因を突き止めて広く市民に公表したことで、医師や弁護士などの専門家や空気の悪さで健康被害を被っていた人々が集まり、市民運動を起こすこととなった。おまけにメディアや議員やタイヤメーカーまで動かした。センセイの力は絶大だ。しかしながら父は当時、学内では目立ちすぎだと叩かれ、祖父からは本業はどうしたのかと諭され、家庭では市民運動の雑務を押し付けられた妻子の不満が渦巻いていた。結果的には市民の勝利で終わったが、内情は結構大変だったのである。褒めてるんだかけなしてるんだかわからない話になってしまったが、つまりはセンセイ(専門家)という人たちは、特別なコミュニケーション能力がなくても、マインドがあれば最強の科学技術インタープリターになりうるということだ。今ならそういった活動が批判されることもないだろう。インタープリター養成とは、そのマインドを培うことではないかと思う。父の遺品の中から晩年の講義資料が出てきた。彼にその概念があったのかどうか今ではわからないが、まさに「科学コミュニケーション概論」ともいうべき内容で驚いた。偶然にもこの分野に携わることになった私は、当時では迷惑に思っていたこの市民運動の話と手書きの講義資料を密かにパクらせてもらっている。

2008年7月18日号