連載エッセイVol.154 「科学技術と政治的判断」 佐倉 統

2020-09-19

この原稿を書いているのは2020年5月30日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の被害が広まっている最中だ。数か月前から世界中で同じ病気が蔓延していて、その対応策次第で各国首脳への国民からの支持に明暗が分かれている。今のところ、ドイツ、韓国、台湾、ニュージーランドのトップは支持率を上げ、アメリカ、ロシア、フランス、そして日本は下げている。日本は感染症そのものの被害は欧米各国に比べると断然少ないので、この現象はおもしろい。

安倍首相が支持率を下げている理由はたくさんありそうだが、そのひとつは、責任との向き合い方だろう。感染症の専門家たちに判断を委ねすぎていて、みずからの責任を回避していると受け取られているのだ。

しかるべき専門家のアドバイスをきちんと聞くことは、とても大事だ。感染症対策のような専門的知見が決定的に重要な領域については、それは不可欠である。だからそのこと自体は誰も悪いとは思っていない。むしろ専門家会議の立ち上げが遅すぎたぐらいだとすら言われているぐらいだ。

しかし、非常事態宣言を出すのか出さないのか、終了するのかしないのか、といった最終的な政策決定は、これは政治家が責任をもって下すことである。というか、政治家ってそのためにいるんだろう。専門家がこう言ったからと、判断をすべて専門家に押しつけるような政治家の姿勢が市民の目には責任のがれとうつり、支持率低下を招いている。

これは政治家の人気に影響するというだけの話ではない。専門知を政治や社会の意思決定にどのように使っていくか、使いこなしていくか、そのデザインがうまくできていないという日本の問題がここに凝縮されている。

政治家に科学技術をどのようにわかってもらうのか。科学技術コミュニケーションにとっても重要な課題なのだけど、どこをどうしていけば良いのか、正直まったくわからない。政治家の資質に責任を負わせてすむ問題ではない。今回のコロナ禍がきっかけとなって、少しでも事態が改善される方向に進められればうれしいのだが。

『学内広報』no.1535(2020年6月24日号)より転載