廣野 喜幸 先生の寄稿文です

2020-07-28

本プログラムの部門長である、廣野喜幸先生の寄稿文を掲載します。『教養学部報』620号の転載となります(2020年7月28日)。

パンデミックの思想史

二〇二〇年六月一日付けの総長メッセージは、現状を捉えた上での行動指針が的確に示されていたが、その一部に対し、「おや」と感じた方もいるのではないだろうか。「屋外を自由に歩くことや、みんなで集まって会話するといった、これまでの日常生活で当たり前と思っていたことが大きく制限されました。こうした事態は、本学の長い歴史を振り返っても初めての経験でした。」(傍点引用者)だとしたら、一九一八〜二〇年の三年に及ぶ、スペイン・インフルエンザによるパンデミックのときは、どうしていたのだろう? メッセージによると、東京大学は、今回のような行動制限は実施しなかったらしい。スペイン・インフルエンザの総死者数は、全世界で一七〇〇万〜五〇〇〇万人(多めの推計では一億人)、日本で三九万〜四五万人と推定されている。新型コロナ・ウィルスの全世界の死者数はおよそ四二万人(二〇二〇年六月十五日現在)であるから─収束していない今回の危機と比べるのは不適切だが─、スペイン・インフルエンザの脅威は相当なものであったはずである。にもかかわらず、行動制限をしなかったというのだろうか。

しなかったのである。もちろん、マスクをするように、といった注意勧告は行われた。だが、東京大学に限らず、東京市も東京都も、一般に行動の制限といった対策はとらなかった。その理由はいくつかあるが、当時の流行病観も大きかったように思う。流行病とは、ある共同体に突如外部からやってくる客人・異人(まれびと)であり、厄災をもたらす禍つ神だと捉えられた。厄災がふりかかる間は、ひたすら耐え忍び、過ぎ去るのを待つのみになる。
確かに、医学の進展により事態が動きはしていた。一七九八年、医師ジェンナーが牛痘法を開発し、天然痘が予防できるようになり、ウシからワクシニア・ワクチンが作成され、ヒトに用いられ効を奏した。パスツール・グループは、家禽コレラ(一八八〇年)や炭疽病(一八八一年)・狂犬病(一八八五年)等々、家禽やヒトの疾病のワクチンを次々に開発していく。また、コッホ・グループの北里 柴三郎とベーリングは、一八九〇〜九一年に破傷風菌やジフテリア菌に血清療法を開発し、流行病に対抗する手段を一つ付け加えた。

だが、新興感染症のワクチン開発は時間を要する。その間にできる有効な対策は、今回のように、人々が接触を避け感染率を下げるというような、古典的な公衆衛生対策のみである。直観的に明らかに思えるこの対策が、しかし、科学が要求する精密さを伴って明確になるのは、感染症拡大メカニズムについて理解を進めた一連の数理モデル(SIRモデル)が、スコットランドの二人の研究者、化学者ケルマック(一八九八─一九七〇)─彼は二十六歳のとき化学実験中に爆発が起こり視力を失った─と軍医ケンドリック(一八七六─一九四三)によって提出された一九二七〜三九年以降のことになる。行動制限による効果の曖昧さと、漠然とした形であれ、人々を捉えていた客人/禍つ神観が、一九一八〜二〇年の時点における日本のパンデミック思想であったと言えるだろう。
事態は進展する。一九八〇年、ジェンナーの牛痘から約百八十年後、世界保健機構は二十年以上かけたプロジェクトによって、天然痘の絶滅に成功した。これに貢献した日本人医師は、蟻田 功や北村 敬たちであったが、同プロジェクト終了後の両者の言葉はそれぞれ次のようなものである。「二十一世紀は根絶事業が世界戦略として大きな脚光を浴びることになろう。」(「人類と感染症」日本輸血学会雑誌、43(2):175、一九九七年)「天然痘より難しい対象である……ラッサ熱、マールブルグ病、エボラ出血熱などを征服すべく……研究を進めて行く」(『天然痘が消えた』中公新書、一九八二年、二三八頁)しかし、このまなざしは、全面的に受け継がれはしなかった。両氏より一世代若い医師の山本 太郎は、「感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるのかもしれない」(『感染症と文明』岩波新書、二〇一一年、一九四頁;傍点は引用者)として、「二十一世紀には、「共生」に基づく医学や感染症学が求められている」(同)と方針の転換を推奨した。

国民国家の視座をとりつづけるのなら、共同体とその外部という発想に強く誘われるだろうが、ウォーラステインの世界システム論を待つまでもなく、パンデミックの観点からは、すでに全地球システム一つしかない。宇宙から飛来する物質なら外部と言えもしようが、パンデミック現象においては、すべてシステム内部の出来事なのである。二〇〇三年、中国広東省からはじまった重症急性呼吸器症候群SARSはたちどころに三十二の地域・国に広がり、八〇九六人の患者と七七四人の死者をもたらした。二〇一二年に第一患者が発見された中東呼吸器症候群MERSは二十数カ国において二四九四人が罹患し、八五八名が逝去している。新型コロナ・ウィルスに至っては、一八七カ国地域で七六九万人が感染し、四二万人が亡くなっている。

一九八四年、イェール大学の社会学者ペローは、「正常事故(ノーマル・アクシデント)」という概念を提唱した。この考え方を適用すると、なるほど、生じる時期や規模について予測がつかないものの、パンデミックは共同体システムを外部から脅かす擾乱などではなく、全地球システム内の一つの正常な出来事にすぎなくなる。外部からの侵入者説に立てば、共同体から禍つ神を排除することもできるかもしれないが、パンデミックが全地球システムにがっちりと組み込まれた要素の一つだとしたら、「共生」という思想に落ち着かざるをえない。征服・根絶によって感染症をなくすことを目指す〈リスク・ゼロ思想〉ではなく、共生によって〈リスクの最小化〉を志向し、損して得をとれ路線をとることになる。

問題は「損」の内実であろう。確かに、今回の新型コロナはSARSやMERSに比べれば、圧倒的に破壊的である。しかし、最悪のパンデミックというわけではない。スペイン・インフルエンザの死者数はすでに述べた。五四一年に始まった「ユスティニアスのペスト」では世界全人口の三〇〜四〇%が亡くなった。一三四六〜五七年の黒死病(ペスト)は、当時のヨーロッパの全人口八〇〇〇万〜一億人の六〇%ほどを奪い去った。この比率を今日に機械的に適用すると、三〇〜四〇億人ほどが亡くなる計算になる。破滅的なパンデミックがかつては確かに存在したのである。なるほど、医学と公衆衛生の状況が向上した今日にあっては、被害はそこまで大きくならないかもしれない。しかし、新型コロナ・ウィルスの被害規模を一桁〜二桁上回るパンデミックが世界システムの通常の営みの一つとしていつ立ち現れてもおかしくはない。

最近、「コロナとともに(with Corona)」や「コロナ後(after Corona)」なる表現をよく見かけるようになった。そこには、「コロナ後」に以前の生活に戻れるという淡い期待が漂っているように見受けられる。しかし、「コロナ後」も実のところ、「パンデミックとともに(with pandemic)」にある世界に違いない。私たちの行動変容は一時的なものではなく、より深いところに根ざしたものであるべきなのだろう。

(相関基礎科学/哲学・科学史)