連載エッセイVol.215「Mirror Bacteriaの衝撃」 豊田 太郎

2025-07-25

先日、「日本人だけが読めないフォント」というインターネット記事を読み、そのフォントを公開しているウェブサイトを知った※1。私も「よく作り込まれているなぁ」と感心しつつ、このフォントで書かれた文を読もうとすると、その見た目に思考が邪魔されてもどかしさを感じ、読むのにとても時間がかかった。もしこのフォントで書かれた論文が氾濫したらと想像してゾッとした。この経験は、近い将来実現すると科学者が予想する“人工微生物”「Mirror Bacteria」が、人類を含む地球上の生物に与えるであろう衝撃を思わせるものかもしれない。

生物は分子でできている。分子は多数の原子が連なったかたまりである。生物の体をつくる分子と、構成原子やその結合は同じで、全体形状だけが鏡で映した関係にある特殊な分子も(多くはないが)存在する。近年、そうした特殊な分子が少量でも生物に与える影響が明らかになってきている。全体形状が鏡映しの関係にある2つの分子において生体内での量や役割に差異がみられる現象はホモキラリティとよばれ、生命起源の謎の一つとされている。そこで科学者チームが最近、この特殊な分子のみでできた体をもつ人工微生物「Mirror Bacteria」が人の手でつくられたら、生物にどのような影響を与えるかについて議論をまとめ発表した※2

この発表によれば、Mirror Bacteriaは、地球上の生物と同じ餌を摂取して増殖することが可能である。もし生物がMirror Bacteriaに感染すると、生物はそれを排除する仕組みをもっておらず、仮に免疫系が新たに学習できるにしても膨大な時間がかかり、それまでにこの人工微生物が体内で増殖する結果、生物体内の様々な機能が不全となることが想定される。つまり、ホモキラリティで支えられてきた地球上の生物全体の営みがMirror Bacteriaによって脅かされることになる――発表した科学者チームはこう警鐘を鳴らした。実は、生物のDNAと鏡映しの関係にあるシュピーゲルマーという人工の分子はすでに開発されており、新しい薬剤の候補として注目されている。現在、Mirror Bacteriaに関連する実験への対応をめぐって、世界で議論が始められている。まさに「責任のある研究・イノベーション(RRI)」が求められる課題の一つとなるだろう。

※1 https://fontmeme.com/jfont/electroharmonix-font/
※2 K. P. Adamala et al., Science 386, 1351-1353 (2024).

『学内広報』no.1596(2025年7月25日号)より転載