連載エッセイVol.201 「コラムの「禁止事項」」 青野由利

2024-05-27

長年、新聞社でコラムを書いてきた。今でも外部ライターとして、デジタルと紙の紙面に科学コラムを掲載している。

大昔、最初にコラムを書けと言われた時には途方に暮れた。どのように、何を書けばいいのか、見当がつかなかったからだ。

そこで他の人が書いたコラムや、エッセイ集などを手当たり次第に読んだ。それで書き方がすぐに会得できるわけはないが、「この書き手はうまい」「この人はヘタクソ」という区別はつくようになった(もちろん、普段はヘタクソな人が素晴らしいものを書くことはあるし、その逆もあり)。

その後、さまざまな形式・行数のコラムを書くようになった。時には朝刊一面下段のコラムを月1程度書いていたこともある。

コラムの性格によって書き方も変わる。だが、いずれの場合も念頭においておいた自分なりの「禁止事項」があった。

「身辺雑感を書くな」「社説を書くな」である。

商品である新聞で、個人的な身辺雑感を読まされたら読者は怒るだろう。そこには、なにか新しい発見や新しい視点がなくては価値がない。

コラムとともに社説も書くようになってからは、コラムに社説を書かないように気を付けた。社説とコラムの違いを一言で表現するのはむずかしいが、明らかに別物だ。そもそも社説は社論で、個人の主張ではない。まず主張があり、それに説得力を持たせるための肉付けがいる。

もちろん、コラムにも主張はあるし、それをサポートするデータも必要だが、書き方が違う。だが、うっかりすると社説じみたコラムを書いてしまうことがあり、心の中で「ごめんなさい」と読者に謝ることもあった。

さて、このエッセイもまた、コラムの一種だ。「禁止事項」を念頭において書かねばならないはずだが、果たして……。「これは商業誌じゃないし」なんていう言い訳を自分にしているところだ。

『学内広報』no.1582(2024年5月27日号)より転載

最新著書 『脳を開けても心はなかった  正統派科学者が意識研究に 走るわけ』 (築地書館、2024年2月)