「ジャーゴンの消長」 塚谷裕一

特定の業界やコミュニティでのみ通用する言葉、つまりジャーゴンは、古今東西を問わず、さまざまな世界で発達することが知られている。要するにジャーゴンの生成は、人間の性なのだ。「ジャーゴンを使いこなす自分って、とっても専門家っぽい!」とかいった自己満足の誘惑は、そのくらいに大きい。

当然、生物学においてもジャーゴンはしばしば見られる。ただ面白いのは、それには移り変わりがあり、永続性があるとは限らないことだ。

例えば「重複受精」という言葉がある。花が受粉して実を実らせる際、花を咲かせる植物、つまり被子植物の場合は、1つの花粉管の中に動物の精子に当たる核が2つでき、それが片方は卵細胞と、もう片方は中央核と融合する。これ自体とても興味深い仕組みであり、その結果として前者からは後代のからだが生まれ、後者からは栄養を貯める胚乳ができる。この重複受精の巧妙さから、現在の地球上は隅々まで花の咲く植物が席巻するようになったとも言える。このとき、1つの花粉で受精が2回起きるのでこれを「重複」と表現するのだが、私が学生の頃は、これを「じゅうふく」と読むのが正しいとされていた。もちろんこの語は、一般の文章においてはふつう「ちょうふく」と読む。それなのに、植物学においてはそう読んではいけないことになっていたのである。変な世界だった。

 幸い、近年、それを馬鹿らしいと思う世代が増えたこと、また日本でこの重複受精の仕組みを専門に研究している方が必ず「ちょうふく」と読むこともあって、今ではむしろ「じゅうふく」と読む人は少数派になってきた。ジャーゴンの終わりである。

 もちろん、読みがなのジャーゴンは植物学に限ったものではない。対合という言葉もある。これはざっくり言えば、遺伝子の乗っている染色体がペアリングする現象のことだが、これも業界では「たいごう」と読むことになっていた。私が高校生の時などは教科書にもそう書いてあったほどだ。不思議である。しかし最近はこれも、一般社会と同じく「ついごう」と読むのが普通になってきているようだ。昔は、一般と違う読みで「ただしく」読めるかどうかを、業界仲間の合言葉みたいにしていたのだろう。

いずれもこれまでの経緯を見てみると、そういうしきたりが馬鹿らしいと思う世代が増えると、自然と消えるものらしい。

もちろん、新しく生まれるジャーゴンもたくさんある。

植物学の世界では、例えば実験植物・シロイヌナズナの実(果実)のことを英語でsiliqueと呼ぶ習慣が、1990年代から世界的に広まった。これは一つには、シロイヌナズナを分子生物学の最前線に取り込んだ第1世代の研究者が、実は植物学出身者でなかったことに起因していると思う。ショウジョウバエの研究者だったり、線虫の研究者だったり、酵母やウイルスの研究者たちだったのだ。そのせいで、彼らは必要以上に植物学用語っぽい言葉を使おうとしたきらいがある。しかし植物学の言葉を正確には知らないせいで、不適切な用法になっている例も少なくなかった。Siliqueもその一つ。実、と言いたいだけであればごく普通の一般語と同じfruitでいいのだが、それだと素人っぽいと思ったのだろう。そこでsiliqueという専門用語が持ち込まれたのだ。しかしじつはsiliqueは実(果実)ではなく、果実がとりうるいろいろな形態的なタイプ(型)の一つを指す用語である。1ランク異なる位相にあるわけで、等レベルの地平線にはない。だからfruitの専門用語として置き換え可能な言葉ではないのだ。言うなれば、ただ「花が床の間に1輪」と言うべきところを「離弁花が床の間に1輪」というようなものなので、不必要に専門的すぎるし、文脈的にもおかしい。

かくいう私も、大学院生時代からのキャリアの初期には、業界の習慣に合わせてsiliqueという言葉を論文で使っていた黒歴史がある。しかしある時から「やはりこれはおかしい」と思い、積極的にfruitと書くようにしてきた。自身でそうしているだけでなく、論文の審査をする際にも、毎回理由を述べて修正を求めてきた。もちろん私のそういう努力だけではなく、やはり世代の移り変わりによる要因が大きいと思うが、最近は業界の論文におけるsiliqueの用例は少し減ってきたと思う。 不必要あるいは不適切なジャーゴンをなくすには、業界の中からの働きかけも大事なのである。