Re:Logergist(2023) エッセイ「湯治2.0」

2023-09-27

「Re:Logergist」とは

グループでの討論を経て科学(学術)エッセイを書く企画です。日常を描写する科学エッセイを書き続けた物理学者の集団、「ロゲルギスト」の再現・再解釈を目指します。

科学(学術)エッセイ執筆を学ぶ授業として、Sセメスター『科学技術表現論Ⅱ』(担当教員:内田麻理香 特任准教授)を開講しています。

Re:Logergist(2023) エッセイ「湯治2.0」

放談「温泉について」を踏まえて、KKさんがエッセイを執筆しました。

執筆者:KK(教育学研究科 博士5年)

温泉はそこそこ好きな方だと思う。温泉が有名な県の出身なので、温泉というコンテンツそのものに愛着があるし、家族旅行なり、仲間内の旅行なりが企画されると、温泉があるところがいいと主張するタイプの人間ではある。

昭和の雰囲気漂う昔ながらの観光地のホテルにある大浴場は独特の風情がある。有名観光地から少し離れたところにある高級旅館で絶景を見ながらの露天風呂は、食事や丁寧な接客とセットで贅沢な気分になれる。しかし、そのような温泉よりも私が旅情を駆り立てられるのは、地元の人が普段利用しているような公衆浴場である。大分の某駅を降りてから、繁華街の裏道を「本当にこっちでいいのかな」と思いながら進んでいくと、突然現れる公衆浴場は、古びた木造で、脱衣所と入浴所の区別がなく空間を共有していた。湯船からみられる景色は、ペンキ塗りの壁、木枠にたまる温泉成分の白い結晶、そして服を脱ぐお年寄りの姿であった。仲間内で行った野沢温泉では、地域に点在する無料浴場をはしごした。浴場の一つで、社交的な友人が地元のおばちゃんと仲良くなって、次の日、みんなでそのおばちゃんが経営しているお土産物屋に行き、野沢菜漬の値段をまけてもらった。

作り込まれたレジャーとしての非日常もいいが、他人の日常に迷い込んだような非日常も趣深い。こういう公衆浴場で出会うお年寄りを見ていると、天然の温泉に毎日入ることができたら、さぞかし体もよくなるだろうと思ってしまう。

温泉はもともと病気の治療や健康回復(湯治)が目的であり、その歴史は1300年前まで遡ることができる。聖徳太子が道後温泉につかったという逸話は有名であるが、これは『伊予国風土記』による。しばらく湯治としての温泉の時代が続いたが、江戸時代になって物見遊山(観光)として温泉が楽しまれるようになり、そして温泉の学問的な考察が始まった。学問的な考察については、当初は熱いお湯につかる方法を指南したり、その是非が議論されたりしていたが、蘭学が入ってからは温泉の成分についても研究がなされたようだ。交通網やメディアの発達にともなって、観光が温泉の主な役割になっていった。そして、温泉の医学的効果や健康促進効果について、科学に基づく証拠が求められるようになり、研究は今も行われている。もちろん私たちは、温泉の効果には、温泉そのものだけではなく、その土地の気候や名物料理、非日常的な経験に対する感動など様々な要素が含まれていることを知っている。それでも、「温泉そのもの」に何かあるのではないかと考えてしまうのである。

最近では、九州大学病院別府病院が、別府市に住む65歳以上の高齢者を対象とした疫学調査のほか、臨床研究、動物実験、細胞実験を行い、疫学調査からは、温泉に高血圧の発症抑制効果があることを明らかにしている。別府と同じく温泉地である新潟県の湯沢町では、生活習慣と疾病の関係を明らかにし、予防に役立てることを目的に、40歳以上の町民に入浴習慣等の生活習慣などを含めたアンケート調査や血液検査などを行っている。今後、追跡調査を行うとのことである。 こうした温泉の効能に関する疫学的研究の成果は、高齢者の割合が高くなっていく今後の社会だけではなく、地方移住の宣伝にも役に立つだろう。近所を散歩するついでに、健康になれる天然温泉に漬かれるなんて最高ではないか。温泉地に逗留したり居住したりすることは、かつては富裕層の楽しみだったかもしれない。しかし、近年、リモートワークの普及で居住地の選択肢が広がり、ワーケーションという働き方が提唱されている。こうした動きは、新たな湯治の時代ともいえるかもしれない。

参考文献

国立国会図書館「本の万華鏡」第23回本から広がる温泉の世界(最終アクセス 2023.09.27)

新潟大学社会連携推進機構「「湯の街ゆざわの健康調査」新潟県湯沢町における温泉入浴、食生活、身体活動とライフスタイルが健康に 与える影響の解明を目的とした湯沢町住民/健診ベースの前向きコホート研究~フレイル・介護予防の観点から~」(最終アクセス 2023.09.27)

厚生労働科学研究成果データベース「温泉利用が健康づくりにもたらす総合的効果についてのエビデンスに関する研究」(最終アクセス 2023.09.27)