連載エッセイVol.5 「わかりやすさとは何か」 藤垣 裕子

2007-06-13

科学技術をわかりやすく伝えることは、インタープリターブログラムにとって大事な課題の1つである。では、わかりやすさとは何だろうか。「わかる」という日本語には多義性がある。英語のrecognized as truth, share the knowledge as truth, verified, justified, understandなどの意味すぺてに日本語の「わかる」という言葉が充てられているためである。わかりやすさとは納得しやすい、understandableの意味になる。ではどのような表現を用いるとわかりやすいのだろうか。

議論をすすめるために、専門用語を日常用語でわかりやすく書き換えるプロセスをX、逆に、日常用語を専門用語で言い換えるプロセスをYとおいてみよう。プロセスXにおいて、ある種の情報量は確実に減る。たとえば専門家のコミュニケーションにとって必要不可欠な物質名が、わかりにくいという理由で、物質Aと記述される、あるいは専門家の中ではほぽ自明なある概念が、わかりにくいという理由で別の用語に置き換えられる、などである。これは専門用語のネットワークによって保たれていた「概念の精度」が落ちることを意味する。同時に、比喩を用いることによって、日常の文脈が追加されることになる。たとえば高血圧を説明するために、血管をゴムホースに喩えるなどがこれに入る。

翻って、専門家集団内での概念の精緻化プロセスを考えてみよう。プロセスYである。概念の精緻化プロセスにおいては、一意に意味が定まるように、日常用語における多義性が排除される。さらに、日常生活の文脈において存在する社会的な過程の排除が生じる。一義に定まる専門用語空間に閉じることによる概念の精緻化である。

よく「専門家は正確に説明しようとするためにかえってわかりにくい」といわれるが、これは、正確な説明のために多義性を排除し、精緻な表現をめざすためである。つまり、わかりやすいということは、正確さを犠牲にするということである。正しく伝えようとすることとわかりやすく伝えることの間には常に矛盾が存在する。

インタープリタープログラムでは、専門誌Public Understanding of Science (科学の公衆理解)に掲載される論文をもとに、そもそも科学リテラシーとは何か、理解とは何か、わかりやすさとは何か、といった定義を吟味しながら、科学の世界と一般のひとの世界をつなぐことの意味を考えている。

2007年6月13日号