連載エッセイVol.23 「夜の熱気の中で」 廣野 喜幸

2009-06-19

1967年公開の『夜の大捜査線』は5部門でアカデミー賞に輝いた秀作である。米国北部で働くアフリカ系アメリカ人刑事ティッブス(シドニー・ポワチエ)は南部で列車を待つあいだに、殺人事件の容疑者として連行される。嫌疑はすぐ晴れるものの、白人の警察署長(ロッド・スタイガー)とともに捜査にあたることになり、数々の差別に直面する。しかし、ティッブスの能力や人となりに触れるにつれ、署長は態度を変容させていく。見送りの際、署長自らティッブスの荷物を運ぶラスト・シーンは印象に残る。

原作はジョン・ボール(1911?88)の『夜の熱気の中で』(1965年)。米国探偵作家クラブ最優秀新人賞と英国推理作家協会外国作品賞を受賞した佳作である。原作では、ティッブスがペーパーバックを紐解くシーンが効果的に使われている。駅で連行されたときも読書中であった。さて、ティッブスが読んでいたのは何だったろうか。ジェームズ・コナント(1893-1978)の『科学を理解するために?歴史的アプローチ』(1947年)であった。

コナントはプリーストリー賞を受賞した優秀な化学者だが、原子爆弾開発推進者としての方が有名だろう。野心家の彼は、望み通りハーバード大学学長に抜擢されるや、辣腕をふるい、20年(1933-53年)に及ぶ学長職のあいだに大学の近代化を成功させた。1945年には米国科学振興協会会長(科学コミュニケーションの旗振り役)も努める。コナントは人々の科学リテラシーを高めるためには、同時代の科学は高度化しすぎていて適切な素材とはならないと判断し、科学史を通した科学コミュニケーションを構想した。それを具体化したのが『科学を理解するために』であった。

大学で経営学を専攻したジョン・ボールは、戦時中輸送用飛行機の訓練教官を努め、職を転々とした後、60年代に作家となった。職歴の中には、子ども向けの科学読み物の執筆や宇宙科学研究所の広報官が含まれる。そう、ジョンは科学ライターであり、科学コミュニケーターでもあった。ティッブスが『科学を理解するために』を読むシーンは、彼の知性の高さをさりげなく読者に伝える。しかし、それだけではなく、自分の専門外にも旺盛な好奇心をもっていてはじめて真の教養人なのだというコナント譲りの思想・メッセージもそこには潜んでいるように思えてならない。

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2009年6月19日号