連載エッセイVol.55 「学術発表と科学者の関係・再考」 渡邊 雄一郎

2012-03-21

ドラマ「家政婦のxx」が昨年末大いに話題となった。なぜにここまで視聴率があがるのか。人気俳優たちを起用した効果もあろうが。それはそれは不思議な筋書きである。ある状況から次への展開は現実社会では起こりえないと思われるのであるが、理性で考えさせる余裕を持たせないうちに、次の展開へと見る人をひき込んでいく。前の状況を後始末していない雑な展開であるが、見る人を期待させる。朝ドラ「おひさま」は、東日本大震災直後から放映され、主人公の生き方が被災者に元気をもたらし話題となった。脚本家はその筋書きをプロデューサーやスタッフと議論を重ねたという。フィクションでありながら、現実感を醸しつつ、見る人をほっとさせる不思議さがあった。かつての「ちゅらさん」と共通な個性を感じさせ、ドラマがあふれる中で同じ脚本家の個性が伝わることは素晴らしい。次の「カーネーション」も人気だが、小篠女史の人生に基づくもので、圧倒的な真実の強さに基づく脚本の強さを感じる。

ドラマ論を展開するつもりはないのだが、こうしたことをなぜかある学術発表を思い出しながら想起したのである。名だたる科学者たちが次々にデータを披露しながら、新しい内容を発表していく。その際なぜかドラマとそれを書く脚本家、プロデューサーの関係を思い出したのである。科学者は自ら脚本家あるいはプロデューサーのようになり、聴衆の関心を引きつけ、その期待に答えるように流れを示し、魅惑的な結論あるいはモデルを描き出す。同じ実験データでも非常にうまく見せつける。まず問題設定を行う。なぜと聴衆に期待、疑問や興味をまず起こさせる。その喚起されたものに答えるべく、実験を示し、どのような結果が得られたか、聴衆をハラハラさせながら見せる。ハッピーエンドのことも多いが、ときに予想と大きく異なる結果(筋書きの大逆転)を見せつけられたりする。そしてフィナーレ。ヒーロー誕生のような結末だ。

論文の読者やシンポジウムの聴衆をいかにひきつけるか、ワクワクさせながら、ほら皆さんこれが新発見ですと見せつける。研究実験のデータパターンや解析の展開は、特定の科学者の個性を発露させていることがあり、研究者として憧れるものだ。しかし当然ドラマとは大きな違いがある。離婚、不倫は登場しないのは当然であるが、科学はすべて実験に基づいた事実によって展開させるドラマである。スポンサーを満足させるため、注目を集めるための創作、虚構は許されない。しかし時にドラマ制作時のような魔性の幻覚があらわれるのか、その鉄則をまもれなくなるという問題が散発するのも悲しい歴史的事実である。

2012年2月29日号