連載エッセイVol.67 「スマートフォン普及のなかで問われる人間の能力」 渡邊 雄一郎

2013-03-06

電車にのっていると、座席一列みな携帯電話,スマホをいじっている光景によく出くわす。便利なのはわかるが、人間の脳機能の一部がスマホに移行してしまっているようにみえる。スマホが体と一体化した外部記憶装置のようになって,もしある日突然にそれがなくなったときどうするだろうと考えてしまう。スマホ依存症となった人間の脳と、なかった時代の人間の脳の間にちがいはないのだろうか。

脳の機能として人間しかできない部分は、総合的にものを判断する能力であろう。科学技術インタープリターのプログラムに沿って考えてみた。本プログラムを履修する本学大学院生は、各所属でそれぞれに専門性を持った研究をし、それぞれの専門分野で調査、発見、探求を積み重ねている。副専攻として科学技術インタープリタープログラムを履修すると,自らの専門をもちながら、いかに他の分野の人にその新規性、重要性を伝えるかを学ぶと同時に、他の専門の人との議論を重ね,コミュニケーションの意味を探り,スキルもあげる、さらには一般の人とのコミュニケーションを如何にはかるかを磨く。そこにはステークホルダーの立場の違い,価値判断も入るし,社会の動向による部分もある。答えは一つにならないことも非常に多い。

学部の入試シーズンで思うのだが、受験生は合格という結果を得ることに集中しているので,入学後の授業への適性にはお構いなし。そのためか入学直後の学生から「この科目は受験で選択しませんでしたので,配慮してください」というたぐいの発言をよく聞く。高等学校の授業単位をとって卒業しているよねえ。いかに情報、知識,その目の前の文章をよみとるかといった能力にはたけている。でもそれはスマホでも近い将来できそうな能力である。最近,文字や音声認識、翻訳もしてくれますよ。学生さん、“専門”からずれた話であるとお手上げとなるらしい。スマホを忘れたのでどうしましょうと同じになる。いかにして知らないこと、新しいことに立ち向かうか。矛盾した複数の立場、考え方があったときに如何に判断するかを考える意欲,資質を問う入試があってもいい気がする。学部に入学する時点では早すぎるかな。大学院の副専攻ではあるが,科学技術インタープリタープログラムに全学から大学院生が履修してくれることは,救いである。

2013年2月22日号