連載エッセイVol.69 「福島原発事故が突きつけたこと」 佐倉 統

2013-05-09

東日本大震災から、2年が経った。未曾有の大地震と原発事故後の大混乱は、科学技術コミュニケーションにも大きな課題を残し、それらは解決されないまま、今にいたっている。

たとえば、放射線の低線量被曝による健康リスクをどう評価し、どう人々に伝えるかは、今でも合意が形成されないまま、安全だ、いや危険だ、と論争や対立が続いている。

この問題は、しばしば、「科学だけでは扱えない不確実性の問題」とか、「専門家の間でもデータの評価が一致しない状況」などと評されている。しかし、このような見方は、少しずれていて、ひょっとすると事の本質を見誤らせることになるような気がしている。

各分野の専門家は、それぞれの領域で確立された手法と考えかたに則って、事態を評価する。しかし低線量被曝の健康リスク評価には、さまざまな専門領域が同じ程度に関わっている。放射線の測定、疫学、分子生物学、リスク・コミュニケーションなど。それぞれに、重視するデータや依拠する方法が異なり、したがって、リスクの評価も異なってくる。ある分野については、確実に判断でき、一定の結論が出せることでも、別の分野からしてみれば、別の結論が同じように確実に判断される。

つまりこれは、不確実性の問題というよりも、確実だけれども結論が異なる問題といった方がよいのではないかと思う。それぞれの分野の専門家は、確実な知識を主張しているのである。だからこそ、互いに一歩も引かず、対立するのではないか。

もしそうだとすると、これは根が深い。不確実性の問題だというのであれば、判断を慎重にすればすむ。しかし、それぞれが異なる確実性にもとづいて意見を述べているのであれば、どのような判断を下すのが妥当であるか、単純には決められないことになる。

人類は、より正確で合理的に現象を解釈し、それに適した判断を下すために、領域の専門分化を進め、専門的技能に特化した方法を開発してきた。原発問題は、ひょっとすると、この方法が通用しない現象なのかもしれない。

科学にとって、人類にとって、正念場である。

2013年4月23日号