理科離れは中学以降進行する。小学生には理科好きがまだ多い。そこに、小学生を対象にした理科の副読本がマーケットとして成立する余地がある。私が知るかぎりでも9社から11シリーズが刊行されており、乱立気味と言えるほどである。先陣を切ったのは、実業之日本社の『理科の学校なぜだろうなぜかしら』(1955-6)であった。小学生の副読本において、子どもたちから疑問を集め、専門家がそれに答えるという形式は本シリーズが生み出したものであり、同シリーズが成功をおさめた理由のひとつとなっている。
『なぜだろうなぜかしら』は1977年と2012年の2回、リニューアルを果たす。第2シリーズはビジュアル化などの刷新がはかられたが、双方向性は確保されつづけた。再度子どもたちから質問を募ったところ、前回とそんなに変わらなかったという。1問1答形式の「問」の方は、第1シリーズと第2シリーズでほぼ同じである。ところが第3シリーズでは、問が結構異なっている。
第1シリーズの執筆陣は、科学史家の菅井準、宮沢賢治研究で有名な堀尾勉(ペンネームは青史)、理科教育学者の真船和夫、大森平生、高名な技術評論家の星野芳郎、ほ乳類学者の小原秀雄さんたちであった。対して、第3シリーズは江川多喜雄・小佐野正樹・高鷹敦・児玉久美子・佐々木仁・高橋洋・高橋眞由美・藤倉敬子・本山智子・桜井辰之さんたち。第1シリーズで小学校の先生は大森さんだけだが、第3シリーズは基本的に小学校の先生方が執筆している。
帯を見てみると「学校の先生が子どもたちから質問された思わず答えにつまる、素朴な疑問を集めました!」とある。子どもたちから直接集めたのではなく、先生がたから収集したらしい。第3シリーズでは先生方が主役へ踊り出ているように見える。
小中高の理科の先生を科学コミュニケーターと考えた場合、研究者は研究者と生徒を媒介する科学メディエーターであってほしいと願う。しかし、小中高の先生方は研究者と違う価値観で自然に関する知識を伝達しはじめる。スノーは『二つの文化と科学革命』で、理系と文系の対立を論じたが、理系の側に限っても、理系研究と理科教育の二つの文化が存在する。その対立がもたらす問題点については、また次回。再見!
2015年12月18日号