連載エッセイVol.131 「ドーピング報道を見ながら思うこと」 松田 恭幸

2018-07-02

ドーピングに関する事件が相次いで報じられている。年明け早々にカヌー競技の有力選手が他の選手の飲料水に禁止薬物を混入して失格にするという事件が発生し、スポーツ界に衝撃を与えたが、その後も、平昌五輪では日本選手団から初めてとなるドーピング検査の陽性者がでる事件が発生し、先日は競泳で日本のエースと目される選手がドーピング検査で陽性を示してアジア大会への派遣が取りやめとなった。この他にも、レスリングやフェンシングなどの他競技でも有力選手がドーピングによる資格停止処分を受けたことが報道されている。日本のスポーツ界はクリーンだと言われてきたが、残念ながらそれは過去の話となってしまったようだ。

ドーピングが起きてしまう要因は様々あるのだろうが、ここではアスリートが置かれている厳しい環境に目を向けたい。カヌー事件を受けて同じ競技の選手が「東京五輪の魔力は選手なら誰にでもある」*1と語っていたが、大きな大会で「みんなに見てもらえて応援してもらえる」機会を得たいというアスリートとしての自然な欲求に加えて、大会で結果を出さなければ良い企業チームに所属できない、あるいは強化選手から外れてしまう、という重圧があるだろうことは想像に難くない。強化選手になった後も、大会で活躍できないと「税金を投入しているのにメダルを取れないなんて」という批判にさらされかねないのが昨今の風潮である。アスリートを支えるべき競技団体も「メダル獲得が期待される競技を対象として…高度な支援を戦略的・包括的に実施」する*2という「選択と集中」の圧力下にあり、目に見える結果を過度に求めてしまいかねない。このようなアスリートが置かれた厳しい状況は日本に限られたものではなく、引退した英国の競泳選手が、自らが鬱症状と闘ってきたこと、過度に競争的な環境が多くの選手を追い込んでいることを訴えたこともあった*3

科学の研究の現場でも研究不正が後を絶たない。その背景に不安定な雇用環境と研究資金や、キャリアパスをめぐる厳しい「生存競争」があることもよく指摘される。こうした環境の下で、鬱症状を訴える理系大学院生が多いという調査もあった *4

競争的な環境の中で、スポーツの楽しみや研究の楽しみを失わずに感じることができる環境をどう整えていくか、考えていく必要がある。

*1 朝日新聞、 2018年1月25日朝刊
*2 http://www.mext.go.jp/sports/b_menu/sports/mcatetop07/list/__icsFiles/afieldfile/2016/06/24/1372073.pdf (スポーツ庁競技スポーツ課 2018/06/02 閲覧)
*3 http://www.bbc.com/news/uk-scotland-39114128 (BBC News 2017/02/28)
*4 T.M.Evans, et al., Nat. Biotechnol. 36, 282 (2018)

2018年6月25日号