プログラムの必修授業「現代科学技術概論Ⅰ」は、さまざまな立場から第一線で科学技術コミュニケーション活動に携わってる先生方をお呼びして講義をしていただく、オムニバス授業となっています。
二人目のゲスト講師として、東京大学理学系研究科の塚谷 裕一(つかやひろかず)先生にお越しいただきました。塚谷先生は、NHKラジオ「子ども科学電話相談」など、マスメディア上でご活躍のほか、一般向け書籍の監修もされています。今回は、絵本・図鑑作成、テレビ局との関わりなどの事例などから、専門家の立場からのメディアとの関わり方についてご講義いただきました。
暗黙知を共有することの重要さ~子ども向け図鑑作成の経験から~
塚谷先生は最近、幼児向けの科学の絵本と、図鑑の二つの書籍の監修をされたそうです。絵本の出版はスムーズに進んだそうですが、図鑑は少し手こずったとのことです。
イラストで図解をする図鑑の作製では、監修者と編集部が誌面構成を決めて資料写真を選び、イラストレーターに発注する順番で本が作られていきます。納品されたイラストを監修者である塚谷先生がチェックしたところ、複数のイラストレーターから、似たような「問題点」のあるイラストが納品されました。彼らによって描かれた草花は、自然の様子を描くようお願いしたにもかかわらず、土から直接茎が伸びている切り花のような姿、つまり「根元のない」姿だったのです。
植物は、発芽後いきなり大人のからだになるのではなく、しばらく幼若な姿で光合成を行い、合成した有機物を利用して大人のからだを作ります。このことは、植物科学の研究者である塚谷先生にとっては当たり前でしたが、イラストレーターにとってはそうではありませんでした。塚谷先生はこの行き違いが生まれた原因として、イラストレーターには科学者の持つ暗黙知が欠けていたこと、そして編集部も暗黙知のギャップに気づかず、サポートをできなかったことを挙げられました。今回の件では、編集者がサイエンスコミュニケーターとして働き、イラストレーターに科学者の暗黙知を共有する仲立ちをすべきであったと結論付けられました。その上で、上記のような問題が起こるのは、一般の人々が「生活に根ざした」感覚を失いつつあるせいではないか、ともご指摘されました。
マスメディアは良心的とは限らない
塚谷先生は以前、日本植物学会の広報をご担当されていました。学会には、テレビ番組から問い合わせが来ることも多く、そういったやり取りの中では、不誠実さを感じることもままあるとのことで、いくつかの事例をご紹介いただきました。
なかには、専門家が見れば一目で虫害とわかるものを、放射線障害による枯死であると報道した事例もあり、憤りを感じたとのことです。
先生が不誠実と感じた事例の共通点は、マスメディア側の見解の誤りを専門家側が指摘すると、連絡が途絶えることでした。問い合わせ時にはすでにオンエアが終わっていて、撤回ができないこともあるそうです。企画の確定後にお墨付きを得るためだけに専門家の知見を求めるマスメディアのあり方に警鐘を鳴らし、サイエンスコミュニケーターが仲立ちする際に工夫をするべきだとおっしゃいました。
COVID-19を経ての問題提起~議論
最後に、問題提起として、サイエンスコミュニケーションには、教養や趣味としての科学知を伝えるものと、安全やいのちに関わる科学知を伝えるものとの、性格の異なる二つの種類があるのではないかとの話題に触れられました。先生は、前者では、語る側と受け取る側は対等であり、頭ごなしの態度はふさわしくないと前置いた上で、後者に関しては、受け止め方や理解の仕方の自由度の許容範囲は狭くあるべきと主張されました。そのきっかけは、新型コロナウイルスに対して開発されたRNAワクチンに対して、科学的根拠が一切無視された陰謀論的な理解をする人が思った以上に多いと感じたことだそうです。このような理解をする市民には科学の言葉は届かないが、世界の安全に対する脅威となるため、看過できないとし、マスメディアが科学に対して不誠実な態度をとることもある現状とあわせて、サイエンスコミュニケーションの役割を再考するべきであるという問題を提起してくださいました。
続く議論では、ワクチン反対派の人が身近にいる学生の実体験や、ワクチン反対派にも、社会的な背景からそうなった事情があるといった事例が挙がりましたが、時間の制約上、先生が提起された「ポストコロナにおけるサイエンスコミュニケーションはどうあるべきか」という問題に対しての本質的な議論にまで至らなかったのは残念でした。
講義を通じて
レポート担当者は塚谷先生と近い分野の植物科学を専攻していますが、図鑑のイラストの問題点にすぐには気づくことができませんでした。逆に、遠くから見た図案で根元まで描く発注であるのに、植物の全体像の資料写真が用意されていないことに違和感を覚えました。これは私がイラストをかじっているために、資料のないものは描けない、という暗黙知を持っているからだと思います。講義では、暗黙知は専門家にあり、それを持たざるものであるイラストレーターに共有するという視点から、サイエンスコミュニケーションの事例が示されていました。しかし、実際には現場にも暗黙知が存在します。暗黙知に対する気配りを双方向的に行うことが、互いにとって心地の良い仕事をするための解決策であると考えました。
また、最後の問題提起に関しては、COVID-19に関する非科学的な言論を信じる人々を「言葉が通じない」人々と定義し、「言葉が通じる」人々を対象としてきた、性善説的な従来の科学コミュニケーションを一部改める必要があるのではないか、という問いかけでした。一方で、非科学的な考え方の人々を言葉が通じない、とする定義に違和感を示した受講生もおりましたが、その点に関しての議論は時間の都合もあってできず、事例の提示にとどまってしまいました。しかし、今回、陰謀論に対する、第一線で活躍される科学者の率直な意見を伺ったことは、今後の受講生同士での議論の種火となると感じています。
塚谷先生におかれましては、ご多忙の中ご講義いただいたこと、この場をお借りしてあらためて感謝を申し上げます。ありがとうございました。
文・画: 前野 桃香(総合文化研究科・広域科学専攻 修士2年/17期生)