プログラムの必修授業「現代科学技術概論Ⅰ」は、さまざまな立場から第一線で科学技術コミュニケーション活動に携わってる先生方をお呼びして講義をしていただく、オムニバス授業となっています。
6/24の講義は、多久和 理実 先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 講師)をお招きし、「科学史教育の中で歴史上の実験を再現する試み」というタイトルで講義していただきました。多久和先生が所属されている「リベラルアーツ研究教育院」は、工学部、文学部というような組織ではなく、特定の学生は所属しておらず、東京工業大学の全ての学生に教養科目を提供している組織です。多久和先生は科学史を担当されており、私たちが中学校や高等学校の物理で学んだ力学がどのように法則として形成されたのかの歴史的な背景について、「実験」を活用して学生に問う試みをされているそうです。今回は、多久和先生が普段行っている実際の授業例を一つ紹介してくださいました。
「自由落下運動」を通して歴史への扉を開く
重いものと軽いものを高い所から同時に落下させたとき、どちらが早く地面に着くかを調べる実験を科学番組などで見たことがあるでしょうか。中学校理科で学習する「自由落下運動」の根拠として有名な、ガリレオの実験です。教科書の中では、「物体の重さに関係なく同時に地面に落ちる」と習います。しかしながら、実際に実験をしてみると重いものの方が早く地面に落下するのです。教科書の記述と実験結果が異なることを意味しますが、一体どういうことでしょうか。多久和先生の授業では、実際に落下実験をしてみせた上でガリレオの著書『新科学論議』を読み、彼が活躍した時代の文脈で重要な論点は何だったのかを学生同士で議論するそうです。歴史学の一次資料(当事者が実際に書き記した文書など)を読み解く経験が、卒業後科学者やエンジニアとして未知の事柄に立ち向かうことになる学生にとって大きな意味につながるという信念のもと、多久和先生は日々試行錯誤していらっしゃることが伝わってきた講義でした。
講義を通して
近年、リベラルアーツの重要性は至る所で主張されていますが、東京工業大学も例外ではないと伺いました。大学は科学者やエンジニアへの道を突き進みたい学生にリベラルアーツ科目を幅広く開講し、その重要性を訴えていますが、その一方で、専門外の分野に踏み出せない、踏み出し方がわからない学生が一定数存在していることも、多久和先生は肌で実感されています。そのような学生に対して「リベラルアーツは重要だ」と主張し続けることは、科学コミュニケーションでしばしば問題視される「欠如モデル」的な行動であり、根本的な解決策にはきっとつながりません。そのような中で、理工系の学生が比較的慣れ親しんできた「実験」を通して人文社会系の学問への入り口を作るという多久和先生の試みは、リベラルアーツ教育の新たなアプローチとして希望が持てるのではないでしょうか。
一方で、リベラルアーツ教育を学部教育で重視する東京大学で過ごしたインプリ生の一部には、多久和先生が普段向き合っている「リベラルアーツに踏み出せない学生」のイメージが湧きにくかった側面もありました。「学部2年間は全員教養学部に所属し、その後専門分野を決める」という進学選択制度は東京大学のアピールポイントの1つですが、このようにリベラルアーツ教育が制度的に整備されている環境は日本では少なくなってしまったのが現状だと考えられます。この記事を書いている私自身も学部から東京大学にいますが、私が過ごしてきた環境の特殊性について、改めて実感する機会になりました。
山田 瑞季(学際情報学府・先端表現情報学コース 修士2年/17期生)