11年間住んだ札幌を離れ、今年の4月から駒場キャンパスで勤務している。前任校でも同種のプログラムに関与していたが、こちらでも科学技術インタープリター養成プログラムに参加することになった。本郷で大学院生だったときには、ハイデガーやフッサールなどの近現代哲学を研究対象にしていたので、今こうしたプロジェクトに参加しているというのは何か不思議な感じがする。
一般に、サイエンスコミュニケーションや科学技術コミュニケーションを担う人材を指す言葉として、「コミュニケーター」と「インタープリター」の二つが使われている。この二つはあまり区別されること無く、<科学技術の情報を分かりやすく伝え、専門家と市民との間をつなぐ役割を果たす人>というような意味で使われているように思われるが、字義通りには、「コミュニケーター」は「伝える者」で、「インタープリター」は「解釈(説明・通訳)する者」という意味である。「インタープリター」の方が「解釈する」ということにより重点を置いているような印象がある。
「解釈」は人文学や哲学にとっても重要な概念であるが、近代解釈学を確立したシュライエルマッハーの言葉に「筆者以上に筆者を理解する」というものがある。解釈者が解釈対象となるテクストとは異なった言語共同体・文化圏に属している場合、そのテクストを理解するためには、解釈者は筆者以上に筆者が置かれていた状況や意図をよく理解しなければならない、ということである。科学技術コミュニケーションにこのことをあてはめてみた場合、科学者・技術者のコミュニティに属していない解釈者は、科学者・技術者たちを彼ら以上によりよく理解しなければならない(理解できる?)、ということになるだろう。
もちろん、テクストから筆者の意図や思考を再構成しようとする解釈学的な営為と、科学技術の知識を分かりやすく伝えようとする科学技術インタープリターの活動は同じではない。しかし、インタープリターの役割は、単に科学技術の知識を分かりやすく伝えることだけにあるわけではなく、科学者・技術者や、科学技術の知識そのものが置かれている社会的文脈を科学者・技術者以上に理解しながら知識を媒介していく必要があるという点において、共通性があると言えるだろう。インタープリターは、(科学者・技術者であってもインタープリターの活動においては)科学者・技術者コミュニティの外部の視点に立つ必要があるのではないだろうか。
2008年11月14日号