最近、ヒューマノイド関連のニュースを目にする機会が多くなってきた。ヒューマノイドがよく取り上げられるようになってきた原因としては、まさに、ヒューマノイド(人間型ロボット)と呼んでも差し支えないものが作られるようになったということがあるだろう。大阪大学/ATRの石黒浩教授や産業技術総合研究所などが最近作るヒューマノイドは非常に精巧に作られていて、人間と見まがうほどである。精巧なヒューマノイドの映像は非常にインパクトがあり、メディアの側もニュースとして取り上げやすいのだと思う。
ヒューマノイドだけでなく、ペットロボットを含めて、実社会の中で人間と相互作用を行うロボットを最近では「ソーシャルロボット」と呼ぶこともあるが、そのようなソーシャルロボットの実社会への実装は、哲学的・認知科学的にいろいろと興味深い問題を提示する。人間は果たして完全に自律的なエージェントを作り出すことができるのだろうか。人間は人間や動物と同じような振る舞いをする人工物に対してどのような態度を示すのだろうか。また、ソーシャルロボットの導入は、人間同士の関係にどのような影響を与えるのだろうか。
実社会への実装という点から言えば、現在のヒューマノイド研究は、自律性の確保という点ではまだ大きな課題を抱えている。人間であるかのように見えるということと、人間と同じように振る舞うということの間には、越えがたい大きな壁がある。ヒューマノイドやソーシャルロボットの産業化は一部始まりつつあるが、その産業化がどのような方向に向かうのかは、この壁を越えることができるのかどうか、またそもそも越えるべきなのかどうか、という問題と密接に関係するものであろう。
現在、こうした問題に関連するテーマを科研費の研究で扱っているが、全体を見渡して未来予測を行うことはなかなか難しい。過去を振り返ってみれば、なぜ日本で(だけ)これほどヒューマノイド研究が発展したのかという興味深い問題があるが、これもなかなか一筋縄ではいかない。しかしそのことは、ヒューマノイド研究の過去と未来が、科学技術と社会・文化的背景との関係を考える上で、大変良い材料であるということを示しているのかもしれない。
2010年11月30日号