ひとを世に出すときには、そのひとの生産物をインタープリテーションしなくてはならない。小樽文学館でこの夏に開かれた『没後60年:中条ふみ子と中井英夫展』では、昭和29年4月に短歌研究社の第1回五十首詠に入選し、歌集を出版した後の同年8月にガンで死去した中条と、その才能を見出して世に出した中井との往復書簡が展示された。中井は応募してきた中条の短歌の才能を見出し、自分の雑誌『短歌研究』への掲載を考え、彼女のプロデューサーになった。往復書簡は、その中井が歌集の題名を提案し、躊躇する中条を励まし、説得し、そして次の句の作成へと誘っている様子を肉筆でありありと伝える。それは作品のインタープリテーションでもある。中井にとって中条は、「本人が演出し創作した作中人物のようなもので」あった(中井、『黒衣の短歌史』)。中井氏の見込んだ才能が正しかったかどうかは、「世間の注目」、かつ中井氏以外の歌人や一般のひとによる中条の短歌への評価という形で検証された。
それに対し、科学者を世に出す場合、歌人を世に出すのとは異なるプロセスが入る。ある研究所の科学者は、STAP細胞を扱うある女性研究者の才能を見出し、「リケジョ」としてプロデュースした。割烹着、ピンクの研究室・・・といった映像上の工夫は、おそらくリケジョのプロデュースとしては効果的であっただろう。「世間の注目」は集まったはずだ。しかし歌人の場合と異なり、科学者の見込んだ才能が正しかったかどうかは、科学的手法で検証される。しかも国際誌上である。その1つの方法が再現可能性である。
彼の見込んだ才能が正しかったかどうかはまだ検証の最中である。すでに命を絶ってしまった彼は女性研究者の才能を疑ってはいなかったのだろうか。発見が発見だけに検証を自らの手で行ってから発表するという慎重さを持たなかったのは何故だろう。才能への惚れ込みがそうさせたのだろうか。そして、かの女性研究者は、上記の中条のように、「本人が演出し創作した作中人物のようなもの」に見えるときがあるのは何故だろうか。歌人を世に出す場合には許されても、科学者を世に出す場合には許されないことが、やはり世間を騒がせている。
2014年10月27日号