「むかしMattoの町があった」というイタリア映画がある。1960年代から20年にわたり精神科病院解放運動を行った医師バザーリアの物語である。当時、入院患者の多くは拘束され自由を奪われていた。病院長に赴任したバザーリアは大改革を行う。患者への拘束や体罰を禁止し、そして患者も職員も皆が輪になって話し合う「ダイアローグ(対話)」を始めたのである。ダイアローグによって患者たちは変わり始め、声を上げる。「自分たちは頭がおかしい訳じゃない!」と。彼らの運動は、ついに社会を動かした。その結果、イタリアでは1978年に精神保健法(バザーリア法)が成立し、精神科病院が廃絶されたのである。
ダイアローグは精神疾患に対する治療効果もある。フィンランド北部のラップランド地方で30年以上にわたり実践されている「オープンダイアローグ」という取組みがある。この実践により統合失調症など精神疾患に対する薬物使用量が激減したという。ダイアローグの参加者は、患者とその家族、友人、医師、看護師、心理士などである。そこでは、あらゆる発言が許容され、傾聴され、応答される。すべての参加者は平等であり、上下関係はない。
先日、筆者はフィンランドに渡り、このダイアローグの現場を視察してきた。病院における治療的なダイアローグのみならず、学校でも不登校の生徒などに対する「予防的な」ダイアローグが実践されており、フィンランド全土にダイアローグの文化が根付いているという印象を受けた。そこでのファシリテーターの役割は、すべての参加者の「声」が拾い上げられ、応答されている状態(これを「ポリフォニー(多声性)」という)を創出することである。専門家と非専門家の対話のファシリテーションを行う科学技術インタプリターにも、ダイアローグの哲学は大きな示唆を与えるであろう。
2017年7月25日号