連載エッセイVol.146 「ScienceとFictionの協奏」 豊田 太郎

2019-10-07

講義でも学会・研究会でも、スクリーンに映し出された図や記号を指しながら「このヒトがこう動いて…」と話される教授や講師をよく見かける。顧みると私もそうだ。学生に「この分子の気持ちを考えて…」と話すことさえある。これは擬人法と呼ばれる修辞法である。私の知る限り、国際学会でも言語を問わず、講演中に擬人法を交えて話す情熱に溢れた講演者がおり、その内容に引き込まれることがしばしばある。講演抄録にはそのような表現は見当たらないにも関わらず、である。

擬人法は、本来、科学的事実や実験データの学術的な説明には用いられない。当然、話し手と聞き手のジェンダー、地域、民族、宗教などの背景に左右される伝達リスクも高い。しかし、短時間の講義や講演で、新たな法則や現象の「生き生きとした」面を伝えたい―そう考えれば、擬人法は科学コミュニケーションにおける独特な修辞法の一つといえるだろう。日本生物物理学会が企画・監修した文部科学省ポスター「一家に1枚 動く!タンパク質」では、タンパク質分子の可愛らしいキャラクターたちが細胞内で所狭しとはたらく様子が描かれている。

一方、擬人化のアニメやゲームが最近ブームになるのを見聞きする。動物のみならず、微生物、細胞、日本刀、戦艦、国、惑星など、それらの創意工夫には脱帽せざるを得ない。アニメやゲームといったエンターテインメントは、極端な擬人化を含むフィクションであり、対象の「生き生きとした」面を伝える高度技術の集大成である。これらに明に暗に影響を受けて自らの進路を考えた学生や若い世代も少なくないのではないか。そして、「生命らしさ」を考え続けている私には、対象の「生き生きとした」面を伝達する擬人化は、「人間とは何か」というテーマに通じる寓喩にも感じられ興味深い。

最後になるが、この7月に、国内有数のアニメ会社のスタジオで、凄惨な放火事件が起きた。創作活動に携わる世界中の人々が、この悲愴と喪失を共有し、亡くなられた方々や被害に遭われた方々、ご遺族と会社関係者の心に寄り添っていると聞く。私も、この困難を乗り越えたクリエイターの方々が再び世界を席巻してくれることを期待し、祈ってやまない一人である。