連載エッセイVol.148 「自然災害と地球温暖化」 鳥居 寛之

2019-12-02

今年の夏は猛暑であった。そして自然災害が猛威を振るった年でもあった。わが国では相次ぐ台風による大規模な被害が記憶に新しい。

異常気象という言葉が日常になり、数十年に一度の災害が毎年頻発する背景に、地球温暖化が関係していようことは、誰しもが実感として薄々感じていることであろう。1990年代当時はまだ信頼性も十分でないとして温暖化には懐疑論も聞かれたが、もはや科学的に疑問の余地がないことは、モデル計算の精緻化、そして何より観測データから明らかである。過去100年以上にわたる毎年の世界平均気温について、トップ5は直近の過去5年であり、今世紀に入ってからの18年間は全てトップ20に含まれているのである。産業革命以来、すでに地球の平均気温は1度近く上昇している。今後これを1.5度あるいは2度以内に抑えるためには、CO2の排出を削減どころか、遅くとも2050年までに実質的にゼロにしなければならないという。

欧州をはじめ世界では危機感を持った人々の間で、CO2排出の多い飛行機を避けて鉄道で移動しようとのキャンペーンが広がりを見せ、未来の地球環境を守れと訴える若きグレタさんの活動が共感を呼んでいる。世界の金融も、環境に配慮しない企業から投資を引き上げる流れが加速する。

治安上最も安全かつ災害上最も危険と指摘される我が国において、メディアでは繰り返し、災害時に命を守る対策を呼びかけてきた。しかしなぜか、災害が頻発する遠因、すなわち地球環境の変化に関する問題提起はほとんど聞かれない。日本で危機意識が共有されないのはなぜだろうか。自然の脅威には逆らえないという日本人の宗教観からくる諦めか、あるいは難しいことはお上に任せておけばいいと考える国民性特有の当事者意識のなさか。

原発事故以来、資源に乏しい日本では天然ガスの輸入が急増し、石炭火力の新設計画が世界的批判を浴びつつも環境大臣のセクシー発言でお茶を濁すなど、エネルギー政策は手詰まりの状況にある。再生可能エネルギーも太陽光に偏って急増してきたものの、固定価格買取制度の見直しで転換点にもある。

持続可能な将来をどう描くのか。一人一人が自分事として環境問題を認識し、将来への具体的な対策を考える必要がある。そのために科学コミュニケーションに課せられた役割は何か。実践力が問われている。

『学内広報』No.1528(2019年11月25日号)9頁より転載