連載エッセイVol.156 「Responsible Research and Innovationの当事者意識」 豊田 太郎

2020-09-19

縁あって科学技術インタープリター養成プログラムに参画させていただいて4年になる。この間、本プログラムの講義や様々な活動に触れたり、マスメディアに関わる経験もしたりして、あらためて、自分の立場は社会の中で極めて少数派だと自覚した。私は他の人と比べて、分子については割と明るい方だ(驚かされることも大変多いが)。新型コロナウィルスに関しても、続々と報告される文献から、顕微鏡像で構造をみて、ゲノムの塩基配列やいくつかのタンパク質の機能を知ることで、少しだけ安心した(もちろん現在の感染状況に予断は許されない)。大学院生の頃から、生命現象に関心をもち、原始細胞に思いを馳せて化学の研究をしてきた。私が少数派としてこの研究に従事できていることはとても有り難い。

最近、Responsible Research and Innovation(RRI)という言葉(標葉 隆馬「責任ある科学技術ガバナンス概論」ナカニシヤ出版,2020.)に触れるようになった。これは、社会の価値や期待に沿うように、透明性をもって研究やイノベーションを進めるものとする科学コミュニケーションや科学技術ガバナンスの試みだという。私もRRIの意義は理解できるので、少数派である自分の立ち位置に胡坐をかいていられない。学生にも、「身近な家族に自分の研究を説明して理解してもらえるように」研究内容を深く理解し発表してほしいと伝えてきた。

しかし、あらためて今、私の家族や身近な地域の方々に、自分の研究テーマの価値を責任をもって伝えられるかと問い直してみると、その気概はもちろんあるが、正直なところまだ難しいとも感じる。SNSやクラウドファンディングなどで研究テーマを発信すれば、様々な階層の社会から応答が得られる昨今ではある。ただし、それに適応する術は個人の能力に依っていて、少なくとも私はその術をもっていると言い難く、自ら学んでゆく他ない。よって、新型コロナウィルス禍に際し、今年初頭から国内外にメッセージを強く発信してこられた感染症専門の先生方や医療従事者の方々には、感謝し、また敬服の念を抱いている。そのメッセージから私自身のRRIの何たるかをも学べるからである。

『学内広報』no.1537(2020年8月25日号)より転載