連載エッセイVol.160 「パンデミックの科学コミュニケーション」 廣野 喜幸

2021-01-21

科学コミュニケーションは、パンデミック対策にどのような貢献ができるのだろうか。

20世紀以降、世界で100万人を越す人々が亡くなったパンデミックが何回あったか、ご存じだろうか。スペイン・インフルエンザ(1918年、推定死者数約5000万人、以下同)、アジア・インフルエンザ(1957年、110万人)、香港インフルエンザ(1963年、100万人)、そして新型コロナ・ウィルス(2019年、これまでに110万人)の4回である。100年で4回、つまり平均25年おきに生じていることになる。日本でこそおよそ100年ぶりだが、世界規模で考えれば、パンデミックはそれほどまれな出来事ではない。

感染を抑えたければ、人々が接する機会を減らせばよい。これまでの経験から、至極当たり前のこの常識を私達はよく知っているはずだ。だが、実行は難しい。オランウータンやキリギリスといった単独で暮らす生物とは異なり、ヒトはそもそも群れて過ごすのを本態とする社会性の生物だからである。

ある状況をリスクが高いと認知し、そうした状況では接触機会を下げるというメカニズムがうまく作動すれば、リスクは調節され、自ず感染者数はさがっていくはずだ。だが、どのような状況をリスクが高いと認知すべきかが判然としない。こうしたとき、日本人はお上がリスクを認知してくれるのを待ちがちになる。また、本来群れる動物であるヒトは、リスクを認知しても、他者と接することでうまく稼働するような既存の社会システムに再び身を委ねたがる。

パンデミックという危機あるいはリスクに対処するのに、RNAワクチンがどうのといった高度な科学知識をもつ必要があるわけではない。高度な科学知識を分かりやすく伝えるタイプの科学技術コミュニケーションは、リスク削減に対し、それほどの出番をもたない。お上がそう認知したからではなく、各自がリスクを適切に認識できるのを促す科学技術コミュニケーション、群れたいという欲求の実現が割に合わないものならば、それを押しとどめてくれるような、知識伝達ではなく、行動をうまくコントロールできるような、これまであまり探究されることはなかった科学技術コミュニケーションが今求められているのだろう。

『学内広報』no.1541(2020年12月21日号)より転載