連載エッセイVol.164 「エセ科学に騙されないよう教えるには?」 塚谷 裕一

2021-05-06

最近、一般向けの科学テレビ番組制作に関連して、なんどか制作会社の方々と企画案を議論する中、科学リテラシーについて話していて、一つ思いついたことがあった。いままでのエセ科学対策本は、目標をかけ違えていたのではないか、ということである。

エセ科学に騙されないための心構えを説く書は多い。しかしそれらはこれまで、あまりに馬鹿正直に、国民全体の科学リテラシーの向上を目指してきた。

たしかに世にはびこるエセ科学は、義務教育レベルの理科、あるいはせいぜい高校レベルの化学、物理、生物を身に着けていれば、一瞥で嘘がわかるくらい初歩的なものばかりだ。だから正しい科学を身に着けよう、というのがこれまでの対策案だった。しかし身に着けるべき知識は理系分野だけではない。あらゆる知識体系について高校レベルまでマスターせよというのは、やはり無理な相談だ。そう考えると、エセ科学に騙されたくなければ科学リテラシー向上に努めてほしい、というのは、やや的はずれな助言である。

なのでこの考えはやめよう。ではどうしたら良いか。

そこでヒントになるのが、エセ科学の、言葉を見ただけで「ありえない」と思わせる「変」さである。私達からすればなぜこんな見え透いたエセに騙されるのか、と思ってしまうが、実は見え透いているからこそ騙されるのだ。天然イオン配合、水素水、オゾンによる血液クレンジング。共通するのは、誰もが目にしたことのある科学用語を含む点だ。騙される人たちは、これらの言葉に科学っぽさを感じ、凄いものという幻想を抱いてしまうのだろう。聞いたことはあるけれどよく理解はしていない言葉、そういうものに人は弱い。エセ科学で儲けんとする側は、そこにつけ入り、多くの人が聞いたことはある、しかしよくは理解していない科学用語を全面に押し出すのだ。なぜこんなものに引っかかるのか、という安直なものばかりなのは、実はこうした騙しのテクニックのせいなのである。

そうとなれば、対策は一つ。「正確な意味を知らない言葉を使った話は信じない」という一行に集約できる。今までエセ科学対策のための多くの本が述べてきたような、疑う姿勢という助言は、たしかにそうだが、抽象的すぎる。世に出回るエセ科学対策に話を絞れば、上のように言い換えたほうが効果的ではなかろうか。

『学内広報』no.1545(2021年4月22日号)より転載