連載エッセイVol.177 「絵本のつくりかた」 塚谷 裕一

2022-05-25

サイエンスを伝えるツールとして、子ども向けの絵本というものもある。昨年から何回か監修役をひきうけてみて、改めて暗黙知の大事さに気がついた。

具体的にはこうである。

絵本の絵はイラストレーターさんが描くわけだが、絵描きさんご自身の発案による企画を別とすれば、題材は編集部が指定することになる。その際、編集部は、イラストを描くのに役立ちそうな写真の掲載されたウェブサイトをいくつか探してきて「これで描いていただくのでどうでしょう」と監修者に聞くわけだ。中にはラベル違い、被写体違い、あるいは典型的とは言えない姿の写真なども混じっているので、それを指摘するのが、監修者の役目である。

ここさえしっかりしていれば、あとは大船に乗った気分……と思っていたのだが、思いがけない落とし穴があった。植物の、根元である。

植物の写真はほとんどの場合、花や実を主眼に撮影されている。だから根元の写っていない写真が大半だ。それらをもとに描かれてきた下絵を見ると、あら不思議、幽霊のように足(根元)がない。いや、さすがに全く無いわけではないのだが、まるで切り花をいきなり地面に刺したかのような姿で描かれてくる。すなわち根元にはただの茎しか無い。いやこれは変でしょうと指摘して、根元の茎にも葉がついてないといけません、と言うと、今度は地面すれすれのところに、大きな大きな葉が描かれてくる。いやいや、種をまいて芽が出た最初は、いきなりそんな大きな葉は出てきませんよね、まず小さな葉が出て、だんだんに大きな葉に移っていくのでしょう?となだめすかして、なんとか自然な姿に仕立てていくこととあいなった。

この一連で思い出したことがある。とあるアニメの実写映画でキャベツ畑を演出するのに、スーパーで売られている玉のキャベツを地面に列にごろごろと置いて撮影し、大いに話題になったという事例である。

見えない部分はもちろん見えない。だが、想像力と暗黙知があれば間違いはしないはずなのだ。今回の場合は、植物には根元がある、植物が育つときはまず小さな葉から始まって次第に大きくなる、こういった暗黙知が必要だった。伝えることの難しさである。

『学内広報』no.1558(2022年5月25日号)より転載