かの大国では、自国第一主義を掲げる前大統領がまた返り咲いた。大接戦を伝えるマスコミ報道を覆す圧勝だったのは、既存のメディアが世相を捉えきれていなかったからとも言われる。翻って我が国でも、マスコミであれだけ叩かれた関西の県知事が再び知事の座を手にした。まさかの逆転劇には、SNSでの情報拡散が大きく寄与したと言われている。
SNSが世論を動かす力、特にインフルエンサーの影響力が、いよいよ政治にも及んだとの衝撃をもって受け止められたり、マスコミが信頼を失った結果だとして当惑するテレビキャスターの発言が聞かれたりした。若者がSNSを情報源にしていることは当然のこととして、シニア世代までもがネット上の動画を見て意見が変わったと話す中で、ネットにこそ真実がある、と開眼させられたような顔でテレビインタビューに答える様が印象的だった。
テレビや新聞といったオールドメディアの人間からすれば、自分たちは必ず情報の裏付けを取り、根拠に基づいて取材を重ね、それを公平かつ中立に報道しているのに、との思いは強いだろう。それを、何の信頼性もない誤情報・偽情報溢れるSNSにお株を奪われるなんて。しかし、そもそもマスメディアが客観的で中立なのかというと、それを疑い、「我らこそ正義だ」と標榜してきたメディアに辟易していた人たちは多い。ひとたび不祥事が起きれば取材陣が群がってとことん叩くという報道姿勢や、報道の自由や編集権を楯に、自らの見解に合うように事実を切り取る、挙げ句の果てには曲解や捏造もありうる、といった状況が度々批判されてきたのも事実であろう。
件の知事選挙では、県政の改革を進める真面目な知事という評価が高まる一方で、パワハラや内部告発への不適切な対応は一般の企業でも普通にあることとしてさほど問題視しない世論が聞かれた(東大で毎年研修を受けている身からすると、世間の感覚に驚く)。
とにもかくにも、フェイクニュースも入り乱れるSNS上での組織的な影響力が熱狂を生み、対立候補が「何と向かい合っているのか違和感があった」と言う言葉に象徴される選挙は終わった。今回の結果は、ポピュリズムの台頭だとしたり、社会の改革を求める若者と既得権益側との世代間対立の表れだとする論考もある。今後の検証を待ちたいが、SNS時代に突入した社会のなかで、人々とのコミュニケーションをどう構築していくべきなのか、考えさせられる事象であった。