連載エッセイVol.187 「論文じゃないんだから」青野 由利

2023-03-27

「論文書いてるんじゃないんだから」

今から40数年前、新聞社に入社し、研修を終えて配属された支局のデスクに言われた一言だ。

大学での専攻は薬学だった。それでなぜ新聞社へ?という疑問は置いておくとして、最初は警察回りや地域の街ダネを書くところからのスタート。いったい何がニュースなのか、何が記事になるのか、さっぱりわからず、警察官がせっかくウィスパーしてくれたネタも、「?」と思ったまま、数日後、他紙に抜かれていた。

そんな中で言われたデスクの一言が、どんな原稿への苦言だったかはすっかり忘れてしまった。ただ、その時、少しムッとした記憶がある。「論文のように正確に書くことの何が悪いの?」という気分だったはずだ。

以来、一般記事、解説記事、インタビュー記事、連載、社説、コラムなどさまざまな記事を書き続けてきた。入社5年目からは科学担当として、論文を読み、学会をカバーし、研究者や官僚に取材する日々。

その中で、「科学コミュニケーションとは何か」を立ち止まって考えたことは、たぶん(申し訳ないけれど)一度もない。それより、限られた時間で、締め切りに間に合うように、過不足なく記事を書く、ということが至上命令だった。

気が付けば「論文じゃないんだから」は、当たり前になっていた。それどころか、取材先に「新聞は論文じゃないので」と言いかけたことさえある。

何が違うのか。いろいろあるが、当然のことながら読者が違う。論文の主たる読者は同じ分野の研究者で、専門用語も、書き方の作法も、知識も考え方も共有している。「この話が通じるか」と悩むことは少ないだろう。

新聞はそうはいかない。読者は科学に馴染みのある人ばかりではない。論文と同様の正確さにこだわっていては、まったく通じない。「読者に伝わらなければ書かなかったことと同じなんです」と取材先を説得したこともある。

かといって、正確さは二の次というわけではない。誰が読者なのかを念頭に、正確さとわかりやすさのバランスをいかに保つか。鍛錬は今も続いている。

実は、研究者の中にもそのバランスが優れている人たちがいる。私の経験上、そういう人は、研究者としても優れていることが多い。それは何故? については、また別の機会に。

『学内広報』no.1568(2023年3月27日号)より転載