1月20日(日)の朝、私はボルチモアからデトロイトへ向かう飛行機に乗っていた。離陸してから30分ほど経っていたのだろうか、私は窓の外から見えてくる地形に目を奪われてしまった。地面にシワができたように、等高線にすれば縞模様になるような平行した起伏が延々と伸びていた(洗濯板のような形)。私は、なぜこんな地形ができたのだろう、と素人ながら地球の歴史が刻んできた模様に考えをめぐらせた。と同時に、この感動は私が鳥瞰図を見るような視点に立っていたからこそ可能なことにも気づいた。人間を飛ばせる技術がなかったら、この新しい視野もなかっただろう。実は、人間を飛ばせる技術は、何かを見るだけではなく、何かを見せる手段でもあるらしい。建築史家の橋爪紳也氏は、見世物としての意味を持っていた民間飛行機の初期史を描いている。大正・昭和初期の日本。「空の黒船」に対して新聞各社は争って話題作りのための飛行イベントを催し、飛行機から宣伝チラシを撒く派手なパフォーマンスをくり広げる企業もあった。大量の旅客運送の手段になる以前、空を飛ぶ機械とは人々の目を引く宣伝のメディアでもあったのだ。いや、そのような役割が今はなくなったと断定できるのだろうか。もはや出張の時に飛行船に乗った人の話は聞かないが、広告のために空を飛んでいる飛行船の姿はたまに見る。とはいっても、今となって、「航空技術」を「宣伝手段」と理解するのは短絡的だし、誤訳だろう。
しかし、このような誤訳は許されないものだろうか。1月24日(木)、科学技術インタープリター養成プログラムの社会人向け講座で総合文化研究科の小林康夫教授は、専門家の知識を日常の文脈に落とす際に誤訳は避けられないと話しながら、新しい発想・発見につながる創造的な誤訳もあり得ることをその哲学者としての腕前で披露した。もちろん、危ない誤訳は確かにある。How Users Matterの編者らは、「同時多発テロ事件が起きるまで、旅客機が巨大な火炎瓶になれるとは誰も予測しなかった」と書き記している。ある技術の誤用を防ぐためにも、それまでを想定する想像力が必要なのではないだろうか。私がボルチモアで飛行機に乗ったのはアメリカの地形を観察するためではなく、デトロイト経由で東京に帰るという、旅客機本来の目的(?)に従ってのことだが、結果的には立派な遊覧になってしまった。神戸に住んでいた時、夜の伊丹空港に着陸する度に空から一望できた大阪キタ・ミナミ・大阪城の綺麗なパノラマは、今も変わらず目に焼きついている。飛行機で何ができるのか、私には飛行機から見る、飛行機を見る能力しかないが、色んな想像をしてみる資格はあるのだろう。
2008年2月18日号