連載エッセイVol.21 「大学院インタープリター生への希望」 石浦 章一

2009-04-23

東京大学の大学院生を対象に始まった科学技術インタープリター養成プログラムも、いよいよ最後の年度になった。プログラム修了生も次々と社会に羽ばたいていっており、その効果が表れるのはいつの日だろうか、楽しみなことである。先日行われた修了発表会でも、HP立ち上げから出前授業まで、のびのびと新企画に挑戦してくれている姿は頼もしいものがある。昔に比べて、どの学部でもサイエンスカフェを行って自分の仕事をやさしく説明したり、学園祭でポスターセッションを行っているのは、それはそれですばらしいことなのだが、だが待てよ、東京大学としてはもっと違う企画があってもいいのではないか、という声が身体の内側から沸きあがってくる。理由は簡単なことである。面白実験が科学の発展につながるか、という単純な疑問がぬぐえないためである。出前で、大学院生が料理番組のような実験をして、それが見ている中高生の心を打つかどうか、科学の真髄をやさしく伝えられたか、という点に関しては疑問の声があがるだろう。

とすれば、インタープリターとしての大学院生の行うべき仕事は、そのあたりの教員がサイエンスカフェで行っているような自分の研究の紹介ではなく、考える力を養う実験の紹介、先人の思考過程を追うような実験と結果の解釈、に特化すべきではないだろうか。本学の大学院生の知識に見合うような論理構成をとり、しかも私たちのような手垢がついた教員ではなく、リアルタイムに科学を学びつつある大学院生でしかできない授業が見たい。

私自身は、真似は大嫌いである。テレビで見かける科学プロデューサーの考え抜かれた実験や一流の研究成果を網羅した科学館の展示は尊敬に値するが、生身の、しかも発展途上の人間が教える「一筋縄では行かない現実の科学」にも真実が含まれているはずであり、庶民の科学意識というのはそのようなものに親しみをもつのではないかと思う。大学院生の出前授業がどこまでできるか、それも楽しみの1つである。

(追伸) 科学技術インタープリター養成プログラムと生命科学構造化センターの生命科学の今を伝えるコラボ企画が、「脳と心は科学でどこまでわかるか」として出版された。ご批判を仰ぎたい。

2009年4月23日号