連載エッセイVol.46 「水先案内人」 佐野 和美

2011-08-22

福島第一原発の事故以来、我々は、沸騰水型原子炉の内部構造についてだいぶ詳しくなった。ニュースの中で説明に使用される模式図は日を追うごとに詳細になり、立体模型まで作られている。それだけ、深刻な状況が長期間続いているという事を示しているのだが、原発報道に対する各メディアの情報発信に対する意気込みが感じられる。その一方で、「放射線」「放射性物質」「放射能」という言葉の使いわけなど、混乱も目にする。大部分の人は、原子力や放射能についてあまり知らない。ニュースを読み上げるアナウンサー、新聞や週刊誌の記者たちもそれは同様だ。

かつて、科学雑誌の編集をしていた。

雑誌は、書籍とは違って出版までにあまり時間がかからないので、タイムリーな話題を取り上げることが多い。特に準備に時間をかけるのは「特集」で、そこがその号の顔となる。特集の内容によって売れ行きが違ってくるので、何を取り上げるかは、編集委員会という専門家を招いた会議で真剣に議論される。

しかし、そうやって頑張って作った科学雑誌のほとんどは、一般向けとは銘打っていても、読者の多くが『科学好きの』という形容詞がつく人に限定される。新しい読者、特に今まで科学雑誌に無縁だった読者を新規開拓するのは非常に難しい。雑誌や書籍を発行して一方的に発信するだけでは、受け手の裾野は広がらない。映像メディアでさえ、状況はほとんど変わらない。主体的に見るような視聴者は、科学が、少なくとも嫌いではないはずだ。

研究者側も、わかりやすく、という言葉に翻弄される。わかりやすく伝えようとすると、どうしても情報量が減ってしまったり、少しねじ曲がって不正確に伝わってしまったりもする。

テレビ、インターネットなど、情報を発信する手法が多様化し、玉石混淆の情報が満ちあふれている現代社会。伝える側の工夫と同時に、その情報を受け取る受け手側の心構え––いや、気持ちの持ちようとでも言おうか––も必要となる。科学的な用語が使われているというだけで本当だと信じてしまうわけにはいかない。

原発事故に際し、「本当に安全なのか?」「健康に影響がないのか?」多くの人が知りたいと願う問いに、科学はどう答えていけば良いのだろうか。日々更新されていく膨大なデータに翻弄される人たちに対し、そのデータの読み方、意味を翻訳できる人が必要だ。氾濫する情報を整理しその正しい受け取り方を指南する人、その水先案内人たることこそが、科学技術インタープリターの役割ではないだろうか。

2011年5月31日号