連載エッセイVol.99 「風評と風化」 鳥居 寛之

2015-11-05

人は怖れる動物である。怖れることで身を守る。知らないものは怖い。知らないから怖い。怖いと思ったら怖くないものでも怖くなる。感情は理性に勝る。科学は理性。だから、感情を打ち消して科学を受け入れるのは難しい。正しく怖がるなんてできるわけがない。そこに科学コミュニケーションの難しさがあろう。

風に乗って放射性物質は飛んで来た。広範囲の土壌が汚染し、各地の放射線量を上昇させた。専門家は安全だと言うけれど、政府も科学者も信頼を失い、様々な風評が立ち始めた。科学的に正しいものも、怪しい言説も、また完全に間違った情報も混在していた。専門家の意見と、『専門家』の意見が、完全に矛盾をきたし、多くの人は何が正しいのか分からず不安を感じた。

水と安全はタダだという日常の安心感。それを裏切られた。リスクなんて考えたくもない。考えなければいけないこと自体がリスクだ。ならば、考えなければリスクはゼロなんだろうか。難しいことは考えられないから、安全か危険かを誰かにはっきり答えてほしい。0か1か白黒つけてほしい。中途半端なグレーゾーンはとっても不安。白黒つけたがらない日本人なのに、そこだけははっきりさせたがる。降水確率には慣れていても、リスクの確率は受け入れられない。たとえ悪影響の確率がどんなに小さくても、運悪く自分が当たってしまったら、もし自分の子どもだったら、と考えると、自分にとってのリスクは100%になってしまう。そこにリスクコミュニケーションの難しさがあろう。

風が吹けば桶屋が儲かる。儲かる人は良くても、自分の桶が壊れては困る。いや、その前に、目をやられては大変だ。三味線にされてしまう猫もたまったものではない。因果関係がはっきりしなくても、何かが起こらないという保証はない、かもしれない。

人の噂も75日。韓国のことわざでは3ヶ月。英語だと9日。ネット社会では、もっと早い。ブームの半減期は、数時間単位のこともある。ヨウ素131の半減期は8日。

人は忘れる動物である。辛い過去や不安な心、あるいは嬉しい気持ちや楽しい思い出も、やがて時間とともに和らいでいく。穏やかに、あるいは冷徹に。減衰の時定数は数年なのであろうか、世の中の記憶の風化を、このごろ感じざるを得ない。あまりに早すぎる気がする。セシウム137の半減期は30年もあるのに。

2015年10月26日号