連載エッセイVol.109 「科学と革命」 岡本 拓司

2016-09-05

均一的な自然観や科学観が行きわたっている社会では意識されないかもしれないが、科学コミュニケーションの実践の場では、一般的には相手の科学観・自然観に敏感である必要がある。そして、さらに意識の及ばないことではあろうが、語りかける相手が革命を志している場合には特に注意が必要であるかもしれない。

革命は現政権の正当性を否定し、時に大量の流血に至る事態をもいとわずこれを打倒する。目前の王権が神や聖書に自らの正当性の根拠を見出しているのであれば、これをまず否定する必要があり、ときにその武器として科学が役立つことがあった。19世紀半ばのエンゲルスは、共産主義社会の到来は科学が保証しているとし、化学に基づけば有機物さえ合成さえできることから唯物論を擁護し、進化論を例にひいて弁証法を支持した。具体的には、こうして同じ陣営内の強敵であったキリスト教社会主義者たちに対抗したのであったが、キリスト教に代わる世界観・歴史観の根拠は科学に求められた。

20世紀初頭に相対論・量子論が現れると、古典物理学が保証していた物質観・宇宙観は破綻したとする論調が顕著になった。エンゲルスの衣鉢を継ぐレーニンは、ここに主観主義や観念論、神や自由意志が入り込むことを懼れ、科学は人間の主観から離れた厳然たる客観的実在を漸近的に明らかにしていくものとする主張を基本線として論陣を張った。彼の一派はロシアで革命に成功し、その事実が彼らの主張の正しさを証明していると理解されたため、いまでもこうした科学観・自然観の信奉者は各地に、むろん日本にも、存在する。

一方で、あらゆる革命において科学観が重要な役割を果たすわけではない。明治維新が革命であるとすると、ここでの主要な問題は、天皇による統治の正当性と、「祖法」たる鎖国であり、自然に関する見解が政治運動に結び付くことはなかった。神話的権威に基づく国家において、文明開化の呼称の下、むしろ科学の導入が飛躍的に進んだのは一見奇妙であるが、背景には、この国の誕生が、自然や科学に及ぶ思想的格闘を伴わなかったという事実がある。

科学と自然を素通りする革命を経験した日本では、科学も自然も政治的・思想的には無色であると前提とされることが多いようにも感じられる。しかし、現在でも、科学技術インタープリターが直面する聴衆の中には、花鳥風月の移ろいに自然弁証法を見出す革命家が紛れ込んでいないとも限らない。

2016年8月25日号