カルチャーセンターの講師をつとめたことがある。これには参った。大学の授業は、学生さんの反応をみて改善を重ねていくものの、講義の骨格はすでにできている。おおむね同様な内容を違う相手に話せばよい。カルチャーセンターでは、私の講座に出て気に入ってくれた方は次の講座にも出てくれる。ありがたいことに固定客ができる。大枚をはたいて出てくださる方に同じ話を聞かせるわけにはいかない。必然的に講座ごとに違う趣向を用意しなければならない。これに苦労する。本業に差し支えそうになった時点で早々と退散することにあいなった。
たとえば、サイエンス・カフェ。あるいは、科学博物館。これにも固定客ができる。これまたありがたいことに、来る人は何回も来てくださる。来ない人は来ない。科学博物館は生涯で2回訪れる人がほとんどだという話がある。子ども時分、親に連れられて行くのが1回め。親になって子どもを連れて行くのが2回めでそれが最後という次第である。(高齢化時代では、孫を連れて行くので3回になっているのかもしれない)。かくて、特に日本では、関心層と無関心層にきっぱりと分かれ、中間層がほとんど存在せず、無関心層が科学技術コミュニケーションの土俵にさっぱり上がってきてくれない。この事態をどう改善していくか。裾野をどう広げていくか。これらが科学技術コミュニケーションの大きな課題の1つとなって久しい。残念ながら改善の目途は立っていない。
小学生時代、私は『なぜだろう なぜかしら』の各学年版で知識欲を満たしてきたが、中学生版はなかったため、ブルーバックスを買い始めた。堀切菖蒲園駅近くにあった永文堂で買い求めた都筑 卓司(前回エッセーの誤りをここに謹んで訂正致します)の『四次元の世界』(1969年)と『タイムマシンの話』(1971年)の2冊が私のブルーバックス事始めであった(私の中学時代は1972〜1975年)。いきなり、ブルーバックスに移行したのは、中学生レベルの科学リテラシーを高める文化装置が充実していなかったためだと考えられる。
科学関心層と無関心層に分かれるのは中学2〜3年生にかけてだと言われている。つまり、中学生になると潜在的購買者層が減る。小学生時分買っていても買わなくなる層がけっこう増えていく。売れないから、中学生向けの科学読本はつくられなくなる。ないから読めず、自然や科学を見る眼を養えないから、関心をもたない。こうして悪循環が固定化する。この悪循環は1960年頃にはじまるらしい。その辺りの経緯については、また次回。再見!
2018年12月18日号