「書評のひろば」は、ひとつの本について、異なる分野の専門家たちが書評を書き、それらの書評に本の著者が応答し、ある本を立体的に理解した上で、科学や社会、あるいはコミュニケーションについて、理解を深めていく企画です。今回取り上げる本は、『なぜ理系に女性が少ないのか』(横山広美、2022年、幻冬舎新書)です。
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『なぜ理系に女性が少ないのか』書評
本書は科学技術振興機構(JST)の研究助成プログラムに採択されたプロジェクトの成果を、リーダーである横山広美氏が一般向けにわかりやすくまとめたものである。プロジェクト設立のきっかけは、著者が所属する東京大学カブリIPMU機関長(当時)から、日本の物理学になぜこれほど女性が少ないのか、と問われたことであったという。そのため、「女性が少ない理系」として主に想定されているのは、数学・物理学である。関連して物理を必修とする工学系も、女性が少ない分野として目配りされている。
現在、東京大学をはじめ日本の大学は激しい国際競争の波にさらされており、なかでも日本に顕著なジェンダーギャップの解消は、「世界から選ばれる大学」になるための喫緊の課題となっている。また少子化に伴う労働力人口の減少に対応するには、女性の活用が欠かせない。国は科学技術イノベーションの観点から、女性の理系人材の育成を競争的資金と紐付けながら推進しており、大学はこれらの資金を活用しながら、すでに様々な施策を展開している。私が勤務する大学でも、2016年度にJSTの「ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ(特色型)」に採択されてから、総長を総括責任者として女性研究者支援を行ってきた。組織の意識改革は着実に進んでいる。一方で、理工系准教授・教授の女性限定公募を進めているものの、もともと女性研究者が少ない分野では採用が厳しい状況である。
日本社会には岩盤のようにジェンダー格差が存在する。都立高校普通科や一部の私立大学医学部の入試で、合格点をめぐり明らかな女性差別が慣例化していたことは記憶に新しい。第1章にあるように、日本の高等教育機関入学者に占める理系女性割合(2022年)は「工学・製造・建築」および「自然科学・数学・統計学」ともに、OECD加盟国で最下位である。他方、国際学力テストPISAの15歳の数学の成績は女子も含めトップクラスだという。ちなみに2023年の日本のジェンダー・ギャップ指数は総合125位と過去最低となり、このうち「教育分野」の高等教育進学率の男女比では105位である*1。理系女性問題の背景には、一朝一夕には解決しない構造的課題が存在している。
本書では日本の理系とジェンダーに関するイメージに注目し、独自の統計的社会調査を実施した結果を報告している。特に、理系分野に必要な能力観および理工系・人社系・芸術系・医薬系を含む18学問分野の適性観のジェンダーイメージ(第4章)、母親の数学のジェンダーステレオタイプが娘の分野選択に影響している可能性(第8章)、女性が知的でないほうがよいと思う人ほど数学に男性イメージをもつこと(第9章)などは、漠然と想定されていた傾向についてデータを提示することで、議論の手がかりを与えてくれる。
さらに本書は、アウェイ感を抱きつつ奮闘している理系志望の女子生徒や学生への励ましとなるだろう。著者も物理学科への進学を志望したとき、親族に大変心配された経験があるという(24頁)。新書版なので是非手に取って、たとえば高校の探究学習の資料として活用し、心配する親や教師を説得する力をつけてほしい。私自身も理系志望で生物学科に進学したが、当初母親に薬学部進学を勧められとまどった覚えがある。その母親も大学では数学を学びたかったものの、家庭の事情で看護専門学校に進学している。私や母のエピソードは一昔も二昔も前のものだが、第4章によれば、女性が看護学や薬学に向いていると見なされる傾向は今も変わらないようである。
しかし別の見方をすれば、看護学や薬学が理系志向の女子生徒に高等教育への進学の機会を幅広く提供してきたということもできる。少子化時代に理系の女性を増やすには、親が大卒でないファーストジェネレーションの生徒であっても、また大学が少ない地域であっても、将来多様な理系分野にアクセスできる可能性を開いておくことが重要ではないだろうか。例えば1959年に日本最初の女性工学博士となった郷原佐和子は、京都府立女子専門学校(1927年設立)の物理化学科を1949年に卒業、立命館大学二部理工学部電気工学科を経て、大阪大学大学院に進学し学位を取得している*2。このような軌跡をたどった女性の存在は、大学進学者や理系研究者として、現在想定されていない層のケイパビリティに想像をめぐらせる手立てとなる。
女子生徒の理系進学を妨げるジェンダーバイアスが懸念される一方で、変化の兆しもみられる。まず、大卒以上の娘をもつ親が賛成しやすい理系分野を調査した結果、情報科学が2位にランクインしたことだ(171頁、図表8-1)。著者はこの結果に驚きながらも、親たちはこの分野の需要の大きさをわかって支持しているとみている。1985年の男女雇用機会均等法制定以降、女性の進学率が低かった法学・政治学、商学・経済学、その他の社会科学分野で、女子学生数の増加率が上昇した*3。情報科学への支持がビジネス需要の延長だとしても、少なくとも「女子は数学が苦手」というステレオタイプを前提とした進路指導が通用しなくなるだろう。また第2章の「論理的思考力」「計算能力」のジェンダーイメージの結果をよく見ると、それぞれ「どちらでもない」の回答者が「男性的」「やや男性的」よりも多く、「やや女性的」「女性的」を合わせると6割を越えている(60頁、図表2-1)。これからは通信環境と端末があればどこででも学べる情報科学を入り口として、女子生徒の理系進学の可能性が広がるかもしれない。
本書を通じて、理系とジェンダーに関する海外の心理学分野の動向に触れることができ勉強になった。終章では、ストゥーとギアリーの「ジェンダー平等パラドクス」(220頁、図表11-2)が紹介されている。ジェンダー平等度と理工系の女性学生割合には相関があり、前者が高いほど後者が低くなる「パラドクス」の存在を示したストゥーらの論文は、心理学分野の代表的な学術誌である『サイコロジカル・サイエンス』に掲載された。この説に興味を抱き調べたところ、ストゥーらはこのパラドクスを、「経済的要因が排除されて本来の関心にもとづけば、男性のSTEM志向優位が証明される」という主張と結びつけていた。さらに、バーバード大学のフェミニストの学際的なグループであるジェンダーサイ・ラボのメンバーたちが、ストゥーらの論文を精査した上で、相関に再現性がないと指摘するコメンタリー*4を同誌に投稿した結果、ストゥーらが論文を大幅に修正していたことがわかった。
また、本書第2章で著者らが調査の参考にしたというレスリーらの論文では、「天賦の才能」が関わっているとみなされる学問分野にアメリカ女性やアフリカ系アメリカ人の博士号取得者が少ない傾向を踏まえて、学問分野の多様性を促進するには才能より努力を強調することが有効だと結論づけている*5。才能という概念が文化的・社会的格差の影響を歴史的に受けてきたことを考慮すれば、バイアスを回避するためにも有効な対策だと思われる。一方、本書の調査では、「天賦の才能」について数学・物理学に必要な能力の実在を前提としているようにみえる点が、やや気になった。
心理学は、特にアメリカで黒人差別や優生学など差別や偏見の正当化に寄与したことが知られている。理系女性に関する心理学的研究に関与する人々は、理系とジェンダーをめぐる研究自体が過去の問題の再現となりうるリスクを意識せざるをえないだろう。「理系とジェンダー」が政治的な争点であり続けていること、そして日本の経路依存性を考慮した「理系女性」問題および「文系」と「理系」の制度的分離の批判的分析の必要性について、あらためて考えさせられた。
*1 World Economic Forum (2023) Global Gender Gap Report 2023, p.217. https://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2023.pdf
*2 久保田謙次・谷口吉弘(2021)「日本最初の女性工学博士 郷原佐和子」『立命館大学理工学研究所紀要』(80): 1-14
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/rikogaku/pdf/kiyou80.pdf
*3 隠岐さや香(2021)「ジェンダーと社会科学——比較対象としての経済学」『科学技術社会論研究』(19): 53-63. https://doi.org/10.24646/jnlsts.19.0_53
*4 S. S. Richardson et al. (2020) “Is There a Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Math (STEM)? Commentary on the Study by Stoet and Geary.” Psychological Science 31(3), 338-341. https://doi.org/10.1177/0956797619872762
*5 Sarah-Jane Leslie et al.(2015)“Expectations of Brilliance Underlie Gender Distributions Across Academic Disciplines.” Science 347,262-265.
https://www.science.org/doi/10.1126/science.1261375
松原洋子(立命館大学副学長・立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)